リアリティ。本とか漫画とかドラマとかにリアルさを求める事は、日常会話レベルだと実は願望充足的に響くことがある。それは状況とか立場とか人物造形とかが、自己投射しやすく出来ていることを求める単純なもので、それはそれとしてありだとは思う。でもミミズとお星様が話したりしてても物凄くリアリティを感じることってあるよなあ。アウエルバッハの『ミメーシス』では、文学における現実の描写の頂点を19世紀フランスの写実主義周辺に置いているけれど、その後の試みの中でも、なんてリアルな、っと感じるようなものはある。まして絵画の本当らしさとか鑑賞者との関係、他の、単純に考えればもっとずっとリアルなはずの写真とか映像とか、そんなんも含めて、凄い人々の考えた成果と、自分が見たり創ったりする時考える感覚とを上手いこと繋げてやりたいなあ、とつぶやき。
 ついでに19世紀は自然の描出再現写実の類に夢中になった時期という言い方は確かに可能で一定の成果もあったでしょうよ、でも同時に新聞連載小説の時代でもある。集中力のない読者を飽きさせないために、物語の要請上は不必要なところでも波乱万丈山あり谷ありで、一番面白いところでさっと切って、次号にも金を払わせなければならない。仕様のないことを溜めに溜めて「それではここでCMのお時間です」ってアレの端緒が見えるときでもあるのです。