お久しぶりです。自分のへたれっぷりに対する深い絶望とともに訪れた風邪の奴が花粉症に感動的な襷を繋ぐべく懸命の粘りを見せている今日この頃、私はよくわからんくらいやらないかんことを抱えております。さしあたって鼻と喉で頭いっぱいのときは、時間と体力を喰うばかりの作業を小手際よく小役人のようにこなしていたのだけど、回復とともにちょこちょこと手順を改善しているうちにやんぬるかな、飽きてきた。というわけで今は作業と並行して書いている(書いていない時は真面目なご本を読んでまとめています)。
 ところで、現在私がいるのは研究室付属の書庫。なぜかほかの部屋より暖房の効きが悪く、とてもとてもとても、自分に絶望するなんてめんどいことせずとも風邪が引けちゃいそうなくらい涼しい。北海道の子どもは、暖房の効いた室内で上着を着ていると怒られるけれど、暖房の効いていない室内ならその限りではないと判断して、心置きなく役立てているのが母上からお借りしている青いダウンのコートである。
 ところで借りておいていうのも悪いが、私はもともとダウンコートなるものに一種の精神的な距離感を覚えていて、平たく言うと忌み嫌っていたのだが、その理由の一つがふわふわした実体のない軽さとボリューム、カシャカシャして人工的な肌触りである。だが、これが、室内でコートを着るような極限状態において転じて長所となった。何より軽いし、すべりがよくって動きやすい。まったく「着こんでます」って安心感というか圧迫感(これぞ冬の幸せ!コートの全て♡だと思っている)がないのに不思議と温かい。おかげで肩こりを最低限に抑えつつ、自分に絶望するまでは風邪をひかずにやってこられたわけである。
 加えて、このダウンは素敵な色をしている。四条河原町、朝九時十時に阪急列車の乗り場のちょっと裏手にある高島屋の従業員通用口に向かう行列を見れば、黒かベージュかグレーのダウンを着ていない女性を見つけるほうが難しい(この支給された制服じみたデザインバリエーションは私がダウンを苦手とするもう一つの理由である。もちろん僅差を見分ける目利きの術を持たぬ私が悪い)。その中にも、バーバパパのようにぷっくら膨らんだターコイズ色のダウンは一つもない。
 ただしこれがまた諸刃の剣でもある。仮定の話だが、百万遍近辺のうぶな青年のどなたかが、電柱に向けるより若干質量ともに多めの注意を私に向けたとしたら、それは万が一にもマスカラが巧みに積載されてるというような理由ではなく、地中海ブルーのバーバパパが紅梅色の手提げを持っているのにぎょっとしたからである。それだけならいい。うら若き女性がいつも好き好んで塵か埃か暗闇のような色を着て雪もない街をさらに暗くすることもなし、冬こそ鮮やかな色を纏いたい。もうちょっと問題があるとすれば、私がひょっとして深夜の今出川通りを酔っぱらって象に踏みつぶされたウワバミよろしく這っていたりしたことがあったりしたとしたら、それでもって例の鮮明な配色とともに記憶されていたりしたのであったら、まあ、いささかよろしくないかもしれない。無論、これは仮定の話である。