金曜晩、久々に前後不覚一歩前まで酔っぱらった。日本酒は美味しい。それを飲めるひとびとと酌み交わすのだから愉しい。ゆえに危険である。盃がすぐに干され満たされる幸せに陶然として、詰らぬ自我など万物流転、色不異空にして飛び去った。わたくしが戻ったとき、傍らには罪悪感を連れていた。
 諌言を求めて近しいひとびとに今朝電話で懺悔したところ、半ばあきれながら「若いんだからたまには酔っぱらったらいいじゃない」、「そんなに楽しかったの、よかったね」「酔っぱらえるってのはプレッシャーが少ないんだね」等など、なんともほのぼのとしたコメントを頂いてしまい、私も甘やかされると素直なものだからその線で愚考するに、日本に帰ってから初めてあんなに素直に楽しく酔ったなあなどと考えているのだからあきれたものだ。いや、『夜は短し歩けよ乙女』の春の夜のようだった。いかん、罪悪感は自己正当化(事後美談化)に交替したらしい。ていうか、もうちょっとプレッシャーかかってて然るべき状況ではないのか自分!
 ともあれ、改めて弱者たる酔っ払っいの身になってみると、周囲の御方々の情け深さ、温かさが身にしみるものである。しっかり反省して、もう少しまともで、かつ懐の広い人間でありたいものだと思う。ここに至って、自己正当化の作用により反省と見せかけた問題のすり替えが行われています。こう単純にいかないのは、何しろ、酔って身体が思うように動かせなくなること自体は、許し難く格好悪いことだと知りつつ(しかも研究室の皆様の前で!)、お酒は、嘘いつわりなく美味しく楽しく、さらに、あの神の水が私の中を心地よく満たしてふわふわした夢心地になっていくことは文句なく素晴らしいことでもあると心から感じているからである。