ソフィア・コッポラの《マリー・アントワネット》を観た(3)、朝いちで。水曜・午前中・ベルばら(?)の三段階にわたるコントロールで、女ばっかりである。私は女であることの特権を利用して、映画のレディースデイとか女性せんよう車両とか怖いものみたさに利用するけれど、女であることを除きほぼ何も共通点を持たない集団に身をおくのはちょっとスリリングである。
 話がずれた。レビューを試みよう。とはいっても、私は観た人が観ていない人に話すことは須らくネタばれと思うので、敢えて注意はしませぬ。音楽がすごい楽しかったお話は、ベルばらを飛ばし読みしているような感じの印象である。想像力を働かせてベルばらを読めば、歴史上の人物でない生きているマリーがしっかり発達してしまうため、その点では新鮮味を感じられない。素敵なのはディテール。ラデュレのマカロンがツリーみたいにクリームでくっついてるやつ、欲しいっ!悪趣味なピンクのバタークリームケーキ。シャンパン。淡い色の貝殻で出来たチップ。首のところがゴムになっている薄いボイルのネグリジェ。青いリボンがこれでもかと結び付けられたフープ。サテンやビロードに毛皮や宝石で装飾した、ロココ肖像画でよくはいているようなミュール。
 ヴェルサイユ宮を訪れたことはないが、写真で見る限り、下手につるつるで新品っぽくて、バタークリームをのせ過ぎたケーキのようで、色も軽薄で、なんて悪趣味なんだろうと思っていた。でも、色付き少女漫画に、実際に生クリーム色の人々が動き回るとよく似合う。使い切れぬほどの贅沢に放り出された子供が退屈を恐れて遊びまわる非日常的な空間。
 私の普通にイメージする「お城」って、ボルドーや濃紺、深緑の重いビロードか毛織りのタピスリーの掛かった、多くは中世、近世は下ってもバロックくらいまでのものなんだな。それに対して、ロココは、歴史ではなく少女趣味の御伽噺の中に封印されていた。それを、下手に重たい、陰謀渦巻く歴史のなかでみるからあまりに薄っぺらみ感じていたのだけど、なんの、少女趣味的にみると、みんなベビーピンクやブルーを着て、薔薇を飾って、お洋服もフリフリ、家具調度もフリフリ、お皿もお城もフリフリ、白馬の王子様まで本当にきちゃうんだよ、かなり調和したラヴリィな世界なのだ。