勇気を出して先生に推薦状をお願いしたら、ほぼ予想通りのお返事を頂き、締め切りの日にちまでぴったんこ、めでたし!までは良かったんだけど早速行き詰って、研究なんて無理とか就職も無理かもとか暗澹たる未来の切れ端のみがちらちらと脳裏をよぎり、肝心の研究計画に使うはずの頭がさっぱり働かぬ。
 そこで、秘儀「カンディード(の不幸)に挑戦」。暗澹たる未来はその片鱗を垣間見せるのみだからこそ底知れぬ不気味なものだが、何もかも上手くいかなかった場合を丁寧に具体的にシュミレーションしてみれば案外コメディなのである*1。落ち度というほどでなくとも、ふとした拍子で、人の一生なんて耐えがたくつらくあるいはそこに悲劇とか崇高を見出すことさえ許されないような馬鹿馬鹿しいちっぽけな取るに足らないものになるものだろう。それが私や私の愛するひとたちに起こらないなんて言えるものか。そもそも未来なんてものはちゃんと来るのか。この世界が明日にでも滅びてないとは限らないし、嗚呼、更に恐ろしいことに、明日以降もまだ続いていないとも限らないのだ!

 なーんて、どつぼに嵌りこんでゆっくりしてから、チューリップを売った。
 これは、癌治療の研究を進める費用の寄付金集めのために、地元の農業系の高校で栽培したチューリップを売るという、ロータリーの活動の一つ。すっきりと晴れて少し肌寒い市の中心の広場のスタンドにて、一ダースくらいの球根を付けたままのチューリップが、五ユーロの寄付と交換になる。

 バケツにずらーっと並んでいたチューリップがどんどんなくなっていく。こちらの人たちはよく花を買うし、五ユーロは高くない。球根つきだから植えてもいいし、球根だけ取っておいて来年楽しむことも出来る。最初は「余ったら買っちゃおう…」と思っていたけれど、そのうちどうしても欲しくなって自分の分を確保しておいたら、案の定時間の来る前にすべてはけてしまった。
 花があると部屋の空気は全然違う。いつでもすきなのは黄色い花だけど、このピンクもとても素敵。

 

*1:例えば地元に戻って旭友のレジなんかやりながら若気の至りで産んでしまった息子を母親と一緒に育ててるなんて図はまだ初心者レベルだけど、なに、微笑ましいものだ。