あらー九月。大学生協の菓子パンコーナーで、早くも「お芋さん特集」が行われているのを見て、淋しいような、それでもちょっとときめくような、胸が痛む。
 大学などというところでのらりくらりとしていると、いち早く、そしてなるだけ多く自分に付加価値をつけてどっかで役立たなければ、と考える風潮はつよい。
 外国語できます。現代美術詳しいです。パソコン得意です。教えられます。事務処理早いです。割とどんな人でもやってけます。
 そんなのが(私の話ではない)多分就職で効いてきたりするのだ。そんなオプション付きの便利な人間になったほうがいいのだ。
 そんなことを改めて思ったのは、岩波の『図書』の九月号か、お坊さんらしい人の連載で、荘子のお話が載っていたのを読んでのこと。きこりが見向きもしない使いにくい木は、だからこそ大木になって長寿を全うすることができるのだ、という話。大学ってのも、そんな木が育つ場所であるのが本来なのでしょうね。
 とここは当たり前の話だが。
 続いて、瘤が多くて何の材にも使えない庭の厄介な木は、不平不満をぶつけるんじゃなくって「その下で昼寝でもすればいい」。不格好にでかくなって使い道がないヒョウタンは「川に浮かべて舟遊びでもすればよろし」。
 うーん、なんかこっちの話のほうが好きだ。多少ひねくれていても、役に立つとか立たないとか、すごいとか実は大物とか、そんな色目は置いておいて、まあ楽しくやりましょうよって、さー。