昨日は、朝6:20発のTGV(新幹線)でモンペリエに赴き、ファーブル美術館にて『カバネル展』およびコレクションを堪能した。京大の見学だと原則的に集合即解散で、先生のそばをうろうろしてたら運よく議論に参加できるかしらーという具合なので、今回もはるばるモンペリエまで呼び寄せておいて旅費自分持ち、美術館入り口集合というからそんなものだと思っていたら、なんの!!11時から17時過ぎに解放されるまで45分の昼休憩を除いて先生と展覧会担当の学芸員ボスが交代でしゃべりっぱなし。つまりフランスを代表する19世紀美術の専門家による講演ツアーを丸一日楽しめるという、すざまじく贅沢な企画であることが判明したわけである。
 もーこっちは、作品真剣に見るだけで一日やればかなり消耗するところを、一瞬も聞き逃せない先生の話のリスニングを思いがけず丸一日する羽目になり、また隙あらば何か面白いことの一つでも言わねばという欲目もあるものだから頭動きっぱなし、とんでもなく疲れて、しかも物凄く興奮した。帰りの新幹線でもう疲れて眠くて仕方がないのに一睡もできなかったくらい。面白いなんてもんじゃなかった。コンパで一目ぼれした殿方とお話して楽しすぎて明け方知恵熱出すような感じ!!
 ただまあ私が知恵熱を出したとすると、それは作品を前にしての議論が面白かったというのに加え、普段あまりみない「ドクター/ドクトラン(博士課程の学生および博士号所持者)」が何人も来ていたことに由来するかも。とにかく、彼女ら彼ら、修士課程の生徒がそのまま育ったとは思えないくらい(というか実際そうではないのだと思うが)、全然、違うのである。違うって、服装とか、表情(顔つき)とか、姿勢とか、話し方とかすべて。表面的には身なりに自然にお金をかけていて、女子は、視線が自然に自分に集まるように立ち位置まで気を使っている。修士課程の子たちって、お世辞にもあまり賢そうでないんだけど、博士課程に入るとみんな、自分が例外的に賢く専門知識があるということを、自認するだけでなく積極的に誇示することを厭わない。先生にも自分から議論を吹っ掛けていく。19世紀の範囲内で、彼らは自分自身の研究に関連する地道で着実な調査に基づく確固たる知識と作品を見る目を持っていて、それをある程度分かりやすく言葉にして人前で即興でプレゼンをすることができる。で、おそらく、あと10年20年たってパリでアカデミズムの中で中心になって活躍するのは彼らなのだ。
 つまり、修士の学生相手に言葉の問題で云々いうより、たぶん私が意識するべきなのは、あの辺なんだろうと思う。ルフィみたいに、しこ踏んで「じゃああいつをぶっ飛ばせばいいんだな」って。腕が鳴るぜ。
 それと同時に、今日内田樹さんのPISAに関する記事を読んで(PISAのスコアについて - 内田樹の研究室)、一昔前のフランス美術の先生がたが、パリで博士号を取ろうとしていたことと、今の日本人留学生の多くが修士号を取ろうとしていること(加えて韓国の留学生の姿勢と自分たちのそれ)の意味の違いを考えてみる。博士号を取ろうとしていた先生方はつまり、あれは「ハーバードのMBA」だったってわけだ。国境を越えた秀才の連携と人脈作り=プライスレス☆ってね。おそらくフランスでは、今も昔もこれから大学で活躍するエリートと親しく交わるためには、ドクターに入らなきゃいけない。マスターの大方はその上に残らないからだ。
 それに対して、今、日本人の留学生の多くがMASTER2で学位を取ろうとするのは、日本を長く離れ過ぎると日本で業績を上げられなくなり支障が出るのと別に、効率よく研究のノウハウ・ア・ラ・フランセーズを学び(マスターでは先生にもよるけど、これを徹底的に授業とかで叩き込まれるので)、業績になる学位を取ることによって、フランスで教育を受けた日本の重鎮の先生がたに認められたい、という目的があるのだと思う。
 それは内向きになったとか、志が低くなったとかで責められるべきことではなく、状況とか時代が変わったということ。フランスものの研究だからと言って、フランスの学閥に認められなきゃいけないとかフランスの教授とか学芸員とかとtuで話すのがステイタスだとかetc.という考え方ははっきりいってファックだが、そういう考え方に染まった人々の意に沿わなければいけないとすれば、それはますます阿呆らしいことである。であれば、どういう姿勢でいるのがいいかというと、それを分かっている人がいるんだろうか。こういった問いを問うてみる人すら、決して多数派ではないと思う。ここで、マスターをおとなしく取る気もなく、潔く失敗する気もないなら、京大生マインドに従えば(そして師匠に習うなら)、新たな流れを作るのではなく、例外的な成功例を作ることだ。そのためには…!
クリスマスのプロジェクトだの実りある恋をあと二つ三つしたいだの言わず、籠って研究しまっす!!!