アゴタ・クリストフが亡くなったそうだ。
 文学部閲覧室の書庫で発見した自伝である『文盲』の翻訳を読んだのが去年の四月、三部作の双子の物語(邦題『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』)を読んだのは一年後の今年の春だ。
 人の書いたものを読んで、全く面識もなく吹けば飛ぶような一読者である自分と作品とのあいだに、特別なつながりがあるに違いないと思ってしまう瞬間は、思い込みであっても真実だし美しい。2011年3月から7月にかけて、彼女の三部作は少数の周りの人間と同じくらい、いや、彼らもそこに巻き込んでしまうほどに、私の生に密に寄り添っていたというか浸食していた。以下に記すのは、偶然に彩られたその「特別」な経緯のスケッチである。
 三部作の一作目を手に取った時、私はちょうど安い新幹線でリールに調査に来ていた。地震から一カ月が過ぎていたが、カフェで美術館の開館を待っていると、未だに地元の人には「あなたは中国人?日本人?大変だったわね。ご家族は大丈夫?お友達は?」と言葉を掛けられた。美術館を追い出されてから夕食をとり、少し酔ってふらふらしながら深夜にパリに帰る新幹線までの時間をつぶそうと、映画館に入りかけた。ピナ・バウシュの何か3Dのが封切り直後でよい時間にあったと思う。が、さして理由もなく思いとどまり、証券取引所跡のフランドル風にかわいらしく装飾の施された建物の中庭に吸い込まれた。
 四月の太陽も傾き、閑散とした中庭では古本市の撤収の最中だった。入口付近の閉店間際の店を物色していた紳士がふっと棚に戻したのがGrand Cahier、三ユーロくらいだった。自伝を読んでいたので、政変と困窮から亡命してきたひとが「文盲」状態からフランス語を学んで書いた本、という意識はあった。自分がいたかもしれない地面が揺れているのを遠くから眺めている頼りない感覚が共鳴したといえなくもない。それを買って、駅の待合室で二時間を過ごすことにした。その時別に読むつもりで持っていたのは「ロマン主義演劇における死の表現」などという陰気な専門書だったので、易しいフランス語で書かれた買ったばかりの文庫本は進んだ。
 仏文読みのちゃんとした訓練を受けていない私にもはっきりとわかる、ざりざりと違和感のある殺伐とした文体と、出来事に対する突き放した姿勢が快感で、時代背景や内容の悲惨さにも拘わらず不思議な解放感があった。十日後、ドイツとスイスに調査に出たときには、三分の一ほど未読だったその本を供に選んだ。