先週一杯、パリで行われた研究集会エコール・ド・プランタンに参加し、こちらの戦友二人とともに日本人として発表をさせて頂いた。こちらの博士課程の学生でない私にとっては、研究の一端を発表できるのは得難い機会。しかし初めてのフランス語での研究発表、海外で発表者としての学会参加…と、そもそも口頭での議論にやたらとコンプレックスのある自分にはかなりハードルが高い機会だったのだが、とりあえず、出来るだけ多くの人に理解してもらえるような発表をすること、何が何でも全日程参加し、分野が近い人とは出来るだけ話す!という目標を課して臨んだ。
 というわけで、ドイツ、イギリス、フランス、カナダ、アメリカ、そしてイタリアから集まった40人近い発表者の議論を全て聴き、ゲストの講演や座談会を聴き、コーヒーブレイクや立食形式の昼食、さらに毎晩のカクテルパーティ、演劇見学に参加し、合間に、発表についてあれこれと話したり、他の国の学生と博士課程事情や就職事情について話し合ったりした。フランクな交流時間がかなり多めに設けられているので、既定の質疑の時間内では考えがまとまらなかったことを、後から捕まえて質問したり出来るのは有難かった。シャンパンの助けを借りて偉い先生にも突撃したり…。
 とはいえ、酷く消耗するアクティヴィティ続きで、何とか最後まで生き残れたのは、共に発表した戦友、応援に駆けつけてくださった先輩や友達のお蔭である。

 最終日の会場は、ドイツ美術史センター。ここでドラクロワ古代ギリシャ・ローマ表現における文学・理論の応用というテーマで20分の発表を行った。「芸術と知」という大テーマのもと、始め三日間のプログラムは、狭義な美術史を越えたヴィジュアル・カルチャーや美学の範疇にかかるものが多く、自分は保守的過ぎるのでは…と不安に思っていたが、最終日は中世から時代を下っていくプログラム構成で、アンシャンレジーム関連の後でやりやすかった。質問はなんとか切り抜けたものの、あとから「もっと自信を持ってアピールしなきゃ」「チャンスなんだから発表時間に言えなかったこと全部しゃべるくらいでいいのよ」などと言われ、その後三日ほど言いたかったことが頭の中を渦巻いてうなされるなど。
 個人参加の学会ではなく、もとが先生方のネットワークを主体としていることもあり、議論は活発で激しいときもあれ全体の雰囲気はあくまで温か。その分、たまに寄せられる賞賛の言葉の中に「極東の方なのによく頑張って」的なニュアンスが感じられて素直に喜べない気分になることも。しかも、「(英語帝国主義に対抗し)参加者が母国語で発表が出来ることを重視し」英仏独伊が公用語の中で日本枠というものが存在し、その中で主に仏語英語で立ち回るというのはこれどういうこと?なんて考え出すと余計よくわからなくなってくる。
 今、私達がおそらく昔と比較すると想像を絶するくらい恵まれた環境で研究を進めることが出来るというのは、先生方始めとする方がたの活躍のお蔭であるところが大きい。そこに甘えずに、自分が何者であろうと納得してもらえる研究成果を出して初めて自分が何者かなんていうのは意味を持つこともあるのであり、まあ、要は、くよくよ考えている暇があれば研究して成果を出して、聴き手も「極東の方が」なんて思いつく暇がないくらい夢中にさせなきゃと思うし、そんな心配をしなくていいくらいのものを持ってってのスペシャリストだと思うわけである。
 修業は続きます。