初めての大学院演習発表を終える。直前に要領悪くばたばたしているのを温かくフォローしてくださった方々、質問や助言を下さった方々、そしてつたない発表を聴いてくださった皆様にお礼申し上げます。
 始めたのも、舞台との関連という視点を入れることを固めたのも明らかに遅かった上に、その後も迷走を続け、かなり捻じ曲がった無理のある結論に至ってしまった。おまけにまともに勉強している人ならきっと想像しただけで赤面ものの明らかな誤読、調べ忘れも。忘れないうちに覚書として課題をまとめておく。
 まず、ドラクロワの日記や芸術論の精読。文学と絵画と音楽、文学と戯曲、古典主義戯曲とシェークスピア、などといったものに対する画家の考えを、丁寧に読んで、それが実際の制作に反映しているかどうかを自分の言葉で語れるように。わずかにある翻訳が全く当てにならないことが判明した今、手ごわい相手だけど、やりがいはあると思う。ゆっくり着実に、翻訳つくってやるくらいの勢いで。まずはそれだけど、大陸の哲学(レッシングなど)や古典主義理論、あるいはスタンダールやスタール夫人などの思想に絡めても。
 そして演劇について。古典主義の演劇と、19世紀になって台頭してきた新しい劇とが、実際にどのような舞台だったのか。登場人物、幕や場面の切れ目、人物の出入り、台詞の流れなどにおける違いを実際のテクストを通して調べること。また、デコルムの規則により舞台上で演じられない場面、その変遷。人殺しの場面。人形浄瑠璃なんかでは首がぽんぽん飛んだりするらしい。面白い。もちろん、当時の上演記録、演出方法、特に照明なんかを調べる手立ても探すこと。オペラの位置づけ。
 『メディア』という主題における先行作品にあたり、どのような場面が取り上げられているかを調べてまとめる。これは比較的すぐに始められるはず。作品研究をするならまず出来ていなければならないことだった。
 植物、身体の歪曲、左右対称をあえて崩す姿勢、視線、明暗など、絵画の表面上の未解決問題。参照源に、イタリア・ルネサンス以外の視点も。(カラヴァッジォ)
 先行研究を参照するときには、その研究者の属するコンテクストに意識的であること。