教育の賜物か何なのか、比較的余裕があったからか、数字に弱いだけでなく、数字で分かりやすく表された評価全般を避けたいと思っている節がある。
 例えば、初詣で神様に「成績が上がりますように」なんてお参りするなんて何だか低俗なことと思っていて、高校とか大学の受験の時の合格をお祈りするのんだって結構やましい気分がしたものだ。「お年玉がたくさんもらえますように」とか「お小遣いが増えますように」とかなんて考えるのも恥かしいというか。大学もそんな感覚で、理想的には「単位?何のこと?」という感じに知らないうちに取れてて欲しかった。バイトの時給なんかも、気づいたら入ってた、みたいのがよい。
 こちらで、家賃とかその日に出会ったばかりの子に聞かれたりすると、二重のハンディキャップがあって数字が中々出てこない。でも、どうやら詮索してすきあらば転がり込もうなどと考えているわけでもなさそうである。単に言葉で高い安いいうよりも分かりやすくて簡単なのだ。新年あけましておめでとうの乾杯で、その時お世話になってたフランス人に「研究頑張っていい成績とってね」的なことを言われたときは結構ショックだった。でもその場の雰囲気で、「新しい年を迎える神聖にして楽しい団欒のときにまで心配しなきゃいけないほどの劣等生」と思われてるわけでもなさそう。これも文化の違いかね。それとも私が例外的に競争的数字を毛嫌いしてるのかしらん。
 全く関係ないけど、面白かったので載せてしまう…文句なしの成功もネタになってしまう、京都人かくあるべし。
2008-01-10