牡蠣の食べ方も慎みがないと思ったら花の咲き方もはしたないもので、桃は見ないけど桜と梅が一遍に咲いてます。
 新釈 走れメロス 他四篇中二の妹が森見登美彦さんの、新釈走れメロス*1を読んでいるという話を聞いて、お姉ちゃん、何だか微妙な心持である。勿論これはいいことで、はちゃめちゃな新釈版を楽しみながら近代文学への関心が…なんてのはまあよい(今も変わらず国語は中二でメロスらしいねえ)。骨のある妙ちくりんな文章に親しめるのは貴重だ(だって今の世の中、骨のない妙ちくりんな文章ばかりか骨もなければ妙ちくりんでもないもので溢れているのだもの)。問題は、…そう、なんていうか、あみちゃんが青春を過ごした京都大学とかいうのは、スゴイらしいと思ってたのに、実はこんな混沌たる、神々しいまでにくだらない世界だったのね、との誤解が生じては姉の尊厳に関わるのではないかということ。

 くだらなついでに少し実用的な話をしようか。題して「トイレについて語るときに我々の語ること」
 フランスで、カフェや学校のトイレに入るときにまず確認するのは、紙があるかどうか、というのは常識である。鍵がかかるか、という問題もあるが、こちらは頑張ればなんとか出来ないこともない。あと、なんともはや、としか言いようのない設備も存在するが、一見してわかるので予防は可能である。ただ意外な盲点がある。それは、「便座があるかどうか」。例えば学部の図書館にくっついているトイレには便座が一切ない。もともとそういうデザインというわけでもなさそうで、便座を固定するためのビスの穴がちゃんと残っている。これは、謎。 サドルだけ取られた自転車なら嫌がらせなんだろうな、くらいはわかるけど、便座って、ねえ?
 それで、人というのは理由を欲しがるもので「ラテン人は各々便座を持参しているらしい」というまことしやかな噂というか都市伝説が流れている。衛生のためだそうだ。
 これは、クラスのフランス人なり、それが恥ずかしかったら語学学校のスペイン人にでも是非一度聞かなければと思っているんだけど、未だ実践していない。だって、「どうしてるの?」って訊いて、「あ、そのことね、持ってるよ。ほら!」なんてポータブル便座(お母様の手製ピンクのカヴァーつき)見せられたらどういう反応していいかと思うと、怖くて勇気が出ないもの!!

*1:勿論私が実家に置いてきたもの。母がまず手にとって「何これーっ!」てなことになってたらしい