などと言っている場合ではない。復活祭期間のひねもすのたりのたりが祟って明日先生に出す参考文献一覧と目次と計画書と前書きがまだ出来上がってないのに加えて自分の勘違いで美術館研修計画が迷宮入りしかけている。明日午後は策無しのアトリエに加えて、マダムルゴンとマダムショパンに四分の一時間の間を縫って面会を果たさなければならない。
 つまりはこうだ。アトリエは二時半までなんだけど、三階のマダムルゴンの週一回の面会時間が15:15から(しかし本当に15分に開くものか?)で、一階のマダムショパンは15:30まで(しかし本当に30分まで開けているものか?)、私の書類はマダムルゴンのサインをもらってからマダムショパンにパソコンで打ち込んでもらわなきゃいけないのだ。マダムルゴンはランデブー受け付けないので一人学生が並んでたらアウトである。アトリエと大学は自転車で15分…。理論上でもかなり無理な気がしてきた。いざとなったらショパンは週五日聴けるので月曜に回すよりほかなし、と、先方様には先回りして今朝の内に書類到着の遅れをお詫びメール(という内容を電子的に送る非礼を更にお詫び…)。それでも間違った書類送ってしまうよりまだマシ、今日友達にふと訊いてみたお蔭で首の皮一枚残ったわ。
 留学中、あるいは留学経験のある人びとに、しばしば、フランス人は仕事嫌いとか、効率的でないとか、時間にルーズとか事務作業苦手とか、だから「そんなものだと思ってどーんと構えてればいいよ」なあんて有難い言葉を頂いたものだが、嗚呼、私ときたら!!ラテン人も呆気に取られるのではあるまいか、自分のだらしなさが、なによりも適応しにくいよ。

クーリエジャポンhttp://blog.moura.jp/courrier_koga/2008/03/post-aa68.html
 そうそう、↑クーリエ・ジャポンのページで、チベット問題が分かりやすい言葉で、中立とは言わないのかもしれないけれど真っ当に説明されている。こちらに来てから、中国の子と仲良くなったりして中国に関心を持つようになったもので。
 中国は多分私に関係なくこれからどんどん発展して力を付けていく。けど私を度々怖がらせるのは、もっと単純に数の力である。ばらばらに沢山いるように見せかけておいて、ひょっとして、何か同じような志向性とか歪みのようなものを帯びていたら、と考えてしまうのだ。あの数で来られては勝ち目はあるまい。
 平和な例えだけど、語学学校のクラスに同い年の子がいて、彼女は、自分の今日本にいる従兄弟をいつもmon frère(モンフレール)という。従兄弟はmon cousin(モンクザン)で、彼女のレベルで分からないはずはないし、たまに自分で訂正しているけれど、面倒らしく気づくとモンフレールに戻っている。彼女にとってフレールとクザンの違いというのはそんな程度のものだ。それが、「あなたには兄弟がいないからこの話はピンと来ないでしょう」というレベルじゃなく、想像出来ないほどの塊の人間たちにとって、フレールとクザンが単なる言葉の違いでしかなくなると考えると、背筋が寒くなるのだ。