報告が遅れたが週末は山奥にいた。オーヴェウニュとリヨンのあるローヌ・アルプとの境目のアルデシュという地域である。
 
 リヨンから、高速で南に出た後、石造りの柵のついた山間の隘路を二時間ほどドライブする。途中にいくつも同じような、山の斜面に教会を中心として石造りの家が並ぶ村を通過した。特産物は乳製品、水、ソーセージ(サラミに近い)などの畜産品、それにマロンクリーム。交通は不便で、冬は厳しく、決して楽に暮らせる場所ではなかった。
斜面を利用した畑では小麦を大量に生産することが出来ない。それで、交易に頼った高い小麦が十分でないとき、村に立ち寄る旅人をもてなすのに作られたのが、畑のじゃがいもと飼っている鶏の卵で出来る「クリット」と呼ばれる名物料理だそうだ。生のジャガイモを大蒜とすりおろし、卵と塩を加えたタネを、大きなフライパンに広げて薪の火でじっくり焼く。もちもちしたガレットは、お好み焼き風で美味しい。塩漬けの豚バラの薄切りなんか下に並べて焼いたら更に美味しいんでは、なんて不謹慎に考えてしまったけど。 

 ジャンヌ・マリーは、サンマルタンという今は人口二千人の村で、銀行家の一人娘として生まれ、10歳まで、教会の広場に面した塔のあるこの家で過ごした。教会に面した、というところから分かるように、古くからの街の有力者の家で、隣は司祭の家や市役所が立っている。家紋の縫い取りのある真っ白な揃いのナプキンに、銀食器、部屋の扉の取っ手の上下には、家中の箪笥と同じ金具の飾りがついている。30年代とおぼしき布張りのソファーでシノワズリーな精巧な柄、というよりむしろ絵の描かれた磁器のティーセットでお茶を飲んだりするのだ。
 その後、彼女はヴァランスという比較的近くの平野の町で、寄宿舎から中学高校に通う。大学は一年目はリヨン、それからはパリだった。パリで商社を営むギイと出会ったのは、働きはじめてからだったという。トルコを旅行中の彼と、添乗員のようなことをしていたらしいジャンヌ・マリーは出会って、旅先で恋に落ちる。1970年代のことだった。今二人にはもう独立している二人の娘がいて、ギイが仕事を引退してからは旅行三昧の日々らしい。