フランス人は…と言うと一般化の謗りを免れまい、クレルモンからモンフェランを結ぶ比較的交通量が多く真っ直ぐな通り*1を朝九時前と夕方六時過ぎと稀に昼間の一時前後に利用しているドライバーたちの多く*2は、運転が下手だと思う。荒い、というのはそれこそ一般的フランス人についてよく言われるけれど、不器用というのが近いと思う。
 自転車は歩道を走ってはいけないようなので車道の隅をのこのこ漕いでいるのだが、ちょっと狭い道になると追い越せなくなるらしいのだ。遠慮してるような音が聞こえるとこっちも気を使うから歩道によけたり道幅が広くなるとこまで急いだりする。轢かれるよりはずっといいのだけど、そこまで狭くないし車も小さいし「なんでココで遠慮するよ?」と内心イライラしている。これじゃあ京都じゃ自転車も運転できんだろ。
 ということで、気分よい自転車通勤を邪魔された仕返しに、偉そうに経験に基づく印象批評をしてみることにする。
 すなわち。どうも奴らは車体の大きさとか幅とかがどんなもんなのかがしっくり掴めていないのではないか。教習所に通ってたとき、暫くピンと来なかったんだけど、或る日「落ちてもいいから端っこぎりぎりで走ってみて」って言われて、みぎひだりとそれをやったら、コツがわかった気になった。歩いていて人とかにぶつかりそうになったとき、あ、って少し避けるでしょう?車はそれが少しおっきく速くなるだけなんだ、と思った。
 きゅうきゅうに詰まった縦列駐車から前にゴツン後ろにドカンとやって出てくる車には、そんな自分の外側のもう一枚の皮膚、なんていうと大それているが、それほどの地位は与えられていないのじゃないかしらと思う。デリカシーないようと思うけど、そこは繊細さを要求されるところと考えられていないのかもしれない。自分が不器用という意識も多分ないんじゃないか。
 自分の身体のように抵抗無く自在に動いてくれる(言い過ぎ御免)日本車を「車動かしてる感じがあんまりないからつまんない」というフランス人三人四人知っている。彼らは、フロントガラスを風が撫でていく感覚よりも、ぎこぎこギアチェンジして機械を思い通りに動かすことを好む*3
 ちなみに、私、免許は持ってても運転はあんまりしないし、無害で間抜けな事故歴もある。「乗ってたら絶対上手いと思う」って自分で言ってるけど、若干親馬鹿の気のある家族以外に賛成してもらえたことが無い。

*1:もっと正確に言うとラファイエットとユニオンソヴィエティックとリピュブリック通り

*2:まあ体感72パーセントってとこか

*3:マニュアル車を動かしてる姿は格好いい」って通説には全く異論はないです。性別国籍問わず。