五月病ってのは日本の風土病でもないみたいだな。鬱の停泊とかでなく、変化が起こり過ぎる。去年のこの時期には留学が正式に決定したけど、かたっぽでかなり深刻なダメージ受けたりした。

 我が家の働きもせず嫁にも行かない娘たちの一人が片付きそうらしい。放蕩娘の方は、勢い猶予が出来たような雰囲気になって、面食らっている。決めるのを先延ばし先延ばしにしているうちに周りが何とかなってくれるという、何度もあったパターンだなーと当惑。
 納得いくようにゆっくり考えたら、なんて恐ろしい事を言ってもらって、でも私はどっちかっていうとくそ真面目に考え過ぎるんだよね。「イタリアに行かねばならない」って最近よく口にするけど、受け狙いで「ねばならない」をつけてるうちに、本当に「ねばならない」気分になってないか?行きたいの?行かなきゃならないの?行くの?行かないの?
 にっしーは勇者の戦い方するねえと言われたことあるけど、勇者でしかいられないのはあほちゃんだ。昔、西遊記か封神演戯かなんかで読んだ、魔法で川の水を酒に変えて大宴会して、村中酔っ払ってぐっすり、そこを襲ってきた敵に太公望(じゃあ西遊記ではないわね)が一人で相手するんだけど、こいつも酔っ払ってふらふらでとっても楽しい気分で、相手は拍子抜けするし、なんとなあーく勝っちゃう、みたいなのがいい。村の人は寝てるから戦いがあったことも気づかず全員無事。
 頭が足りないのが難点だけど、釣り糸でも垂らして待ってみようか。でも、私は欲張りだから、曲がった釣り針を使う。いい魚が来たら取り、話しかける人があれば笑顔で応対しよう。釣り糸垂らしとくのは考え事のためだったっけ?じゃあ研究でもしておくことにして…。曲がった針使ってたら俗物なのがばれて話しかけてもらえないかしら?いや、その辺は多めに見ていただかなきゃ。で、何を待ってるんだったっけ…?まあ、いっか、何でも。