特に魅力的な眠りがたまにいるけど、そいつに屈伏する一瞬、すでに夢レヴェルの思考力がもぎ取られる寸前の現実の道具立てで考えることって、実際にはきっととてもくだらないのだけど、何か啓示的に思えてしまう。資料を読みながらノートを取っていたのだと思う。途中でどうにも抵抗できなくなって、でも読んでるところから閃いたことを残しておく必要を感じたらしい。わたしのルーズリーフの一枚に、青のボールペンで「おらんだ」と無造作に縦書きしてあって、微妙に研究にも関わってそうな言葉だけに不気味だ。というのを思い出したのは、昨日の夜に似たようなことがあって、京都はだめだ、とまたもよくわからぬ結論がでたのだった。なんの結論よ?