更新が滞りがちなのは、実生活の充実ゆえってわけでもない。近頃どうも私は思弁的人間じゃなくなってきている感じがあるんです*1。思弁的ってのは町田康の『告白』の最初の方から勝手に取ってきて、しゃべり言葉にうまいこと変換しきれないような色んなことを考えてしまう感じ。そうでないということは、考える先からだばだばと口に出てくる、単純で幸せな感じで、そういう傾向になりつつある人間に、例えば無料で電話が出来る環境なんか与えると、周りの人間にはお疲れ様、だけど、本人としてはブログにあえて整理するまでもなくアウトプットでき、なんとなく満たされてしまうわけだ。
 ところで、問題は、今までよくしゃべる人間であった経験があまりないものだから、しゃべりすぎないように気をつける習慣も身についていないということ。ぎりぎりできちっとセーブしないと、いつかぶり返しがきて口を開く機会が与えられなくなって、またしゃべれなくなるんだ絶対、とか思う。「空気」を読もうとか試みるんだけど、そういう時はもう空気ごとこっちに向いちゃってる場合が多いんだよね。空気を読めないとその場で言われるのではなく、傾いた空気をさらに加速させて訳分からなくなったのを後から漠然と反省することになる。
 そこで、私が効果的だと思うのは、これを機会に癖を直そうとして見ること。良く使う表現を禁止するのだ。外国語でやると危険なほどよく効いて、壊滅的にしゃべれなくなる*2が、普通のしゃべり言葉でもかなり抑制力がある。私の場合、「なんか」「・・みたい」などの頻出曖昧語や、文章をみなまで言わない・やたら逆接を使う癖を気にし始めたら、たぶん一発でトラウマチックに大人しくなること請け合いである。

*1:こういう時に英語のlessにあたる表現があれば便利なのにといつも思う。

*2:語学学校で、皆なんでもil y a(there is)とquelque chose(something)で済まそうとするのを、先生が、違う表現を使うようにと禁止したら、私は意識しすぎてちょっとはしゃべれるようになりかかってたのに言葉が全く出てこなくなり、しばらく後遺症残って大変だった。