夜八時くらい、何故かあらゆるやる気が一挙に鎮火した。なにしろ、やらなきゃいけないことの寿司詰状態、それぞれ見通しが全く立っていない袋小路状態を、なんとか宥めすかして熱い湯船で鼻歌を歌っては虚空に向かって「映画見たーい」とか叫んでたのだが。思考沈下しちゃったらもう、授業は出来る気がしない、論文とか非現実的、映画とかどうでもいい、チョコレートも食べたくない。という具合でもって他の勉学に励む方々のお耳を汚すわけにいかず、結局母親に電話して、まともに愚痴る間もなく色々と下らぬ面白話を聞かされ、なんだかんだと気が晴れた。
 そこで出た結論は、三人姉妹というのは格別に都合のよいものだということだ。姉が超ナーヴァスに世を儚んでいるのを肴に、末娘と母親は(またかと呆れつつ)千葉特産ピーナッツ味噌とアールグレイの取り合わせの妙にボディラインを危機にさらしているもんだから、チョコレートもどうでもいいと言ってた口で私は生姜入りチャイの素晴らしさを語り始める羽目になるのである。
 そもそも、三人いれば誰かはまともに生きてくれるだろうと思っていればこそ、こんなちゃらんぽらんと生き恥を晒していられるわけである。と考えると、私は格段プレッシャーもなくいかにものびのびと好きなように生きているのは両親の雰囲気(これは通常なら教育方針とか言われるものなのかもしれない)のお蔭と思っていたけれど、案外三人姉妹形式によるところが大きいのではないかという気がしてきた。一人っ子の重圧は言うまでもなく、「私か彼女がやらなきゃ」と思うのと、「私がこんなでもあと二人いるから」と思うのとでは無責任のスケールがおのずと違ってこよう。こんな風にすれば、自分の無責任やお天気屋まで三姉妹形式に帰することも可能である。一対一の関係での私の欠損の言い訳になるかはまた別の話ではあるけれど。