年内最後の授業が締めくくり。いやー、過ぎたから言えるけど面白かった。
 この指導教官の授業のプレッシャーは半端でなく、二週間前から胃にしこりを感じ前日はほぼ徹夜することになるにもかかわらず、でも担当になっているときが一番楽しい。自分でも多分いい加減付き合ってきた絵や文章なので、先生のおっしゃることのマッピングがかなり正確にでき、インパクトが伝わってくる。散々観てきた絵なのに、全然気付かなかったことを指摘される上にそれが妥当極まりなく、今まで見えなかったものまで見えてきてしまうのだから、悔しいったらないんだけど、それこそ知的スリルなのだ。(常にまた別のスリルと隣合わせでもあるのだけど…)。改めて、美術なんていう本質的に感覚的に喜ばしいものを相手にし、それを人と共有することの幸せを感じてしまう。私も人に上手く伝えられたらいいのに、というところから、また本年最後のプロジェクトに向けて修行が始まるのだ。
 そのあと、念願のプリンタスキャナ複合機を購入。平日に大学外をうろうろしているときに何故か会うある先生に遭遇。10kg引きずって帰って昼寝、鶏の骨付き肉といろどり野菜に茸をオリーブオイルと少々のカレーを効かせて蒸し焼きにしてゆっくり頂いた。人参が殊の外おいしくなった。
 そういえば、のだめ続きだが、千秋はいつから煙草を吸わなくなったんだろう?清良はまだ吸うんだろうか。どこか人気が出たところで検閲が入ったんだろうか。また税金も上がったりするらしいが、私も好きでもないし、新幹線の喫煙車両とか「うっ」てくるけど、煙草が全世界的に「ここは叩いていいとこ」みたいになってる状況は幼稚すぎて危険な気がする。とはよく言われることだが、「環境」とか「健康」とかずいぶん素敵なもののはずだが、大声で叫ばれると胡散臭くなるのはどうしたものだろうか。誰でも、たくさんの人に聞こえる大きな声を出すときほど、痺れるほど恰好よくインテリジェントであって欲しいと思うのに、悲しいかな、それってどうやらかなり難しいことであるらしい。大声と格好よさ。「正義」とか「自由」なんかもそれなりに素敵だった頃もあったろうに。007が飛び道具を使って格好いいのは、究極的にはいつでも後ろからでも打たれる覚悟が座っているからで、大分レヴェルは違うけれど、反撃を覚悟しない攻撃は醜いし、自分が大きくなるほど、その後ろからの反撃すら自分で賄わなければならないのが難しいところなのだろう。そして私は、こういったときに攻撃―防御な戦闘的モデルで考えないでもっと穏当にクールに考えたほうがいいだろう。