弁当一週間持参に成功!である。最後は力尽きておにぎりだけになってしまったけど。この意気で美味しいものを安く食べる毎日。
 いきなりだけど、成長するとか大人になるとかいうことには、わさび(またはコーヒーでもいい)発見的進化と黒鍵発見的進化とがあるようにふと考えて、考えてたら急に論文が進まなくなったので(ほかにもHDDが壊れかけたり大変なことがたくさんあったのだが)まずいと思ってとりあえず書く。というわけで、以下はとてもまとまらないただのつぶやきならつぶやいていればよろしいのに書いてしまったものであるので、読まないほうがいいかと思います。静物画の命名初期を紹介する論文に、ひたすら描かれているものを列挙する詩があって、マイ・フェイバリット・シングスだなあ、と思ったので、この音楽に合わせて和菓子の歌を作ろうと思いついたのだが(漆黒の羊羹にほろほろの金団〜♪と始まる)、そのうちに、ドレミの歌って凄いなーと思ったのだ。あれは、楽譜とかなしに子供にドレミなんて抽象的なものを教えるのにはてきめんだ。ところが、この歌は、最後に黒鍵を遣わなければならない。シームファソラシドーの次だ。で、ここを最初のうちはドシラーファーシーソードーとかってお茶を濁されてるんだけど、そのうち自分でシ[♭シ]ラーファーシーソードーというのを「発見」して(ところでこの「キーボード」でドレミを打つってすっごいやりにくいということに気づいた)、ちょっと大人な響きにくらっとくるというわけ。この感覚というのはひとつの絵の中に新しいものを発見するとか、新たにもやもやした感情に名前がつくとか、ふにゃーんとしたもの自体はもともとあるんだけど、それをデジタル化して理解する際の精度がどんどん上がっていく感覚というのがあって、大方世の中で名前がついててみんなが知ってるものについてわかったらそれでいいような気持ちになるけど、まだ成長する気があるなら、さらに分節化していくことが可能な気がする。そんでわさびは鍵盤の外にあるものが自分の音楽の一部として以外にマッチするのに気づくことかなーと思ったのだけど、書いてるうちにあやしくなったのでまあいいや。悪文というか筋もへったくれもなく垂れ流してしまい申し訳ない。