漸く暑さが若干和らいだみたい(京都に来た当初は30度以上は一貫して猛暑だったが、今は32度と34度と36度の日の違いを味わえるようになったのは幸いなるかな)。蝉の声も少し変わった。
 しばし籠って研究していたのだけど、モチベーションが切れてきたので、今日はお休みにして、白川通を大回りして蹴上をサイクリングしつつ京都国立近代美術館の『生存のエシックス』展へ。会期半分以上過ぎてしまったんだけど、今まで見なかったのは勿体ない事をした!と思うくらい「拾い物」。
展覧会のHP:http://www.engagementkyoto.jp/report.html
美術館のHP内の展覧会の特集:Trouble in Paradise/生存のエシックス | 京都国立近代美術館
カタログ掲載の文章なんかも読める。特集頁のトップから引用すると、
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生命、医療、環境、宇宙における芸術的アプローチなど、現代の先鋭的なテーマに挑戦する国内外の12のプロジェクトを紹介します。展覧会を通じて美術家や科学者、アクティヴィストなどが分野横断的な交流を重ねることで、宇宙滞在、発達障害、遺伝子組み換え、認知症、庭園、脳科学など、個別的で一見無関係に見えるこれらのテーマを、相互交流と対話が可能な新しい関係として再配列することを目指します。
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 とのこと。といわれて、んん??どういうことになるの?と思う人こそ是非見てみたら色々と考える材料になりそうな気がするのでお薦めしたい。
 今日はその場で中村哲さんの講演も。パキスタンに医師として入り、アフガニスタン旱魃の被害にあった土地に用水路を通して農地化して、15-20万人もの人々が故郷に帰って生活できるようになるまでを、写真を見ながらユーモアを交えつつ、実感を込めてお話される。聞けてよかった。
 展示では、どれも興味を引くけど、とくに気になったのは「関係概念としての知覚的自己定位の研究」プロジェクト。自閉症の人たちと宇宙飛行士に共通して、自分の中心軸を確かめる外界との関係の起点として「ライナスの毛布」のようなものが効果的だというんだけど、幼き頃にライナスの友だった私はなんだかとても納得してしまうし、「ハグマシーン」も気に入って改善点をあれこれと考えてしまう始末。次のプロジェクト「盲目のクライマー」と、その次の「二重軸回転ステージ」は、身体の重心の扱いがよくわからなくなってしまうような装置だったんだけど、逆に自分の身体があまりにあっというまにその状況の中で「ちゃんと重心がすわった状態」を回復しようと頑張ってしまうのが面白かった。というわけで、この展覧会に行ったら、恥ずかしくても連れがいなくても、全て試せるものはやってみたらいいと思う。
 暑さと日照から逃げるのに窮屈になりながら、近い将来への不安から、如何に自分を律してやるべきことを進めていくかということばかりに意識を取られていた私にとっては、展覧会&講演で、自分と周りの世界との間の揺らぎとか結び付きとかを、角度を変えて様々な現在進行中の側面から体験したことは、今まさに必要としていた解放感だった。
 自分の「スタンス」はどうとか「アイデンティティ」がどうとか悩みながら机の上で逃避にうってつけの歴史にもぐって小世界を作り上げようだなんて、そもそも自分をどんどんせせこましく窮屈にするだけのことだ。
 みえてないものをみ、聞いたことのないものを聴くことで、意識したことのない繋がりに気付くこと。今そこにある危うさを触れて確かめること。自分がいままでやってきたのと違う方法で知覚(体験、理解…?)することを怖がらないこと。
 そうすることで、今までになく広い世界と近づきになれ、遠いと思っていたものが肌に息を吹きかけるのに鳥肌をた立て、傍らにあると思っていたものまでの果てしない拡がりにめまいを起こす。耳に優しい言葉に騙されず、想像力だって陳腐なクリーシェにならずに彩りを取り戻す。自分でも楽しいし、その手引きとなれれば、仕事としてはもう一級のエキサイティングなものになると思う。最先端の科学とかでなくて例えば「歴史」の「研究」であっても、そうでなければいけないんじゃないかと思う。