うむ。眠れない癖がついていなきゃいいんだけど、最近とみに寝つきがよろしくない。ので、なんとなくセラピーみたいな感じで爪に色をつけてみたら案の定悲劇的なことになって泣きそう。濃い色は収縮色というけど、これほどの効果とは思わなんだわ、爪以外の手部分が無残にでかい。アメリカンチェリーみたいな色で、おとなしく足の指に塗ってる分にはよかったんだけどな。
 ぺティキュアを塗る、というのでキューブリックの『ロリータ』の冒頭を思いだし、プレイヤードから新しく出るか出たかしたナボコフの小説集の宣伝に、ハートのサングラスをかけた彼女の写真が使われていたのを思い出し、若島先生がロリータの小説と映画の脚本とを並べてみてナボコフ読みのレッスンみたいなのを書いていたのを思い出し、その小論の入った本を総合人間学部の図書館で延滞していたときに、研究室の後輩と若島先生の話になったときにその本を次に予約しているのが彼だったら悪いなあと思ったことを思い出し、その子からヘンリー・ジェームズは小説として普通に面白いと聞いて最初の幾章かを読んで続きを読んでいないことを思い出した。
 そんなに若くない(かといってそんなに年でもない)、お行儀作法をかなり大事にする感じの男女が旅先で出会ったところだった。男の方は何か他の気の乗らないミッションがあって、女の方は目深に帽子をかぶっていて、庭を散歩したりするんだったっけ?さして印象的なイメージやフレーズがあったわけでもなく、あらすじすらおぼろげなのに、あの続きがなんだか気になる。
 こういうときに留学中は不便なんだよなー、と思いかけたんだけど…実はここはクレルモンではなくパリなので、オリジナルはクリスマス・イヴにだってどこかに必ずみつかるだろうし、日本語訳さえ案外入手可能かもしれないと思ってぞっとした*1。このぞっとする感じは、ロフィシエルデュスペクタクルとか水曜に出る40円くらいの情報誌の映画の欄とか見てなんか途方もない気分になったりするのと似ていて、気まぐれに手を伸ばしていたら普通にどこか知らないうちに飛ばされてるかもしれない、みたいな、そっちちょっと行ってみたいけど、行ったらちょっとでは帰ってこれないような。というよりむしろ帰ってこられるようなところに行ってても面白いことなんてないのだ。でも行く?やめとく?他にする?手を伸ばせば手に入るものは過剰過ぎて、本当に手に入れようと思うなら手を伸ばすだけでは足りない。というのは、どこでもそうなんだけど、初めて非常に文化的に「都会」なところにいるというのをひしひしと感じて、これは純然たる好機というやつに違いない。

*1:そもそも、京都でだって夜中の二時半にヘンリー・ジェームズが読みたくなったらちょっと困る