2010年最後にグループワークの進展状況確認のため版画写真室に集まって、てっきりおないくらいだと思っていた他の子らが三つ四つ年下であるという驚愕の事実を発見。もっとお姉さんらしくしなきゃ。
 それ頑張ったのもあり、夕方に思い立って夜は映画にしました。楽しいので見てねー↓
http://www.blogmesite.com/soundofnoise/
 アイディア一発勝負の短編映画の長いヴァージョンみたいな印象だが、案外飽きずに見られた。たぶん「くだらないことを物凄い病的なまでに一生懸命やることで、一種尊敬に値する説得力と完成度を得る」という手法を私が個人的に偏愛してる(偏愛で個人的ってどんな…ひどい)のもありますが。ただ、設定が変なのに、結末までその中に収まっちゃっていっちゃあ無害の感もあり、もっと不条理な不気味さを突き詰めてくれた方がきっと好みだ。(というかあの北欧独特なのか?な青白い冷たい色調の画面を見るとそれを期待してしまう)
 うちの小学校の吹奏楽の先生は「他所じゃ何を吹いても音の出ない子をパーカッションに回すけど、うちは一番最初に選ぶ」と豪語していたものだけど、パーカスは、確かに、出来ない子は本当に出来ないし(私も運動神経からして出来ない子だと思う)、下手だと恐ろしく効果的に全体を駄目にしちゃうんだよね。しかしながら、実際には曲をやったらほぼ裏方、有り余る才能を発揮する機会に恵まれずにうっ屈してるわけだ。そんなのすーごいわかるわーと思いながら見てた。
 そして映像と音楽というのは、やはり鉄壁のマリアージュな組み合わせだなーと、すみません凄く当たり前のこと言ってるんですが、動くイメージを追う視覚と、それを自分の身体をシャドウイングさせて立体的に理解する感覚と、音を待つ聴覚のありかたと(眼の方が耳よりあとで待ってることもあるけど)の連動の具合には神秘的なものがあるのに、それを人間は結構理解していて、期待通りのものを見せるだけでなくちょっと外して操作したりなんかお手のものなのよね。