否定疑問文をいかに上手くやり過ごすか、というのは外国語会話で(私の知る限りロマンス語系と英語では)結構長く悩まされる問題である。これに出会うたびに、身体が若干身構えるので、言葉というものがいかに身体に染みついているのかを実感する。
 「あなたは中国人ではないですよね?」と聞かれたとき、「はい(日本人です)」なら「ノー」、「いいえ(中国人ですとも)」なら「イエス」と言わなければいけないっていう、中学校くらいで習う、あれです。大抵相手は、どちらかの答えをほぼ予想していて、同意や確認を求めているので、ここで誤解が起こると、何でもないことで誤解をわざわざ引き起こして解決することになり、私がめんどくさい以上に相手をうんざりさせる。
 特効薬は、ウィもノンも飲み込んだまま半秒考えて「私は日本人よ」とずばりの答えを文章でいうことだ。半秒間はリズムは崩れるけど、なくていい誤解のために三往復のダイアローグをする羽目になって、相手に「聞くんじゃなかった」と思われるよりずっといい。
 フランス語の場合、「イエス」で答えるべきときには、「oui」ではなく「si」を使うことになるので少しシンプルだ。「先週講義出てなかったよね?」と聞かれて、「いや、いたよ!」と憤慨したら「シ!」。「マドモワゼル、玉ねぎはいれないほうがいい?」えー入れてよ、なら「シ!!」。「諸君はこの前景の色の違いに気付かなかったかね」気づいてたなら「シ!!!」である。言うならば断固たる肯定。徹底的な明るさ。
 同意したい時はもう少し複雑だ。「先生一カ月も休講とかありえなくない?」といわれて、本能の赴くままだと、思わず深くうなずいて「ウェー」とやる。私よりずっと会話に長けている人や、何年もフランスにいる人でも、こればかりはよくやってる。誤解の入る余地はないからいいものの、何かちぐはぐな雰囲気になる。半秒考えて「ありえません」と作文しても、なんかどうでもいいところでリズムに乗り遅れる感じがする。そんなときに便利なのは、oui/non以外の同意の言葉で、「確かにね/ほんとね/その通りだね=Exactement ; C'est vrai ; T'as raison ; Tout a fait .......」などと返せば、自分のなかでもスムーズだし、会話も滞りない。逆に言うと、そうまでしてもここで「non!」はなかなか出てきにくい、ということでもある。
 そこで出てくるのが最後の問題。自分が否定疑問文を投げかけた場合である。「モロッコには行ったことないの?」「non.」これは、頭で理解できる範囲なのでいい。
 ところが、明らかに同意を求めた、修辞疑問のような場合、そもそも相手の答えを待っているのが頭じゃないものだから、状況が無用にこんがらがる。「あの建物の装飾、街並みに合ってなくない?」とか「彼って時間通りに来たことないよね?」とか言ってしまって(なんだかんだ自分でも否定疑問の方が言いやすいことが多いものだ)、「NON」と一喝されると、はっきり言って全く同意してもらった気分がしない。かといって会話はちぐはぐになるわけでもなく滞りなく進んでいく。完全に同意してもらえなかったような自分の中の一抹の落ち着かなさだけが、異文化のあわいに置き去りにされたかのようにふわふわと漂うことになるのだ。
 もっともこの容赦ないNON!も、例えば地下鉄乗り換えで朝っぱらから暇なカウボーイ風情に付きまとわれかけた時などには相手の話をまともに聞き取れなくてもまじめに聞き返さなくていいので役に立つといえば役に立ちます、そりゃあもう。
 あと、外国語会話の話で書いたけど、『フィガロの結婚』かなにかで、シ!とかノ!とか言ってるうちに双方わけわからなくなってくるようなやり取りがあったような気がするし、案外こっちの人にとっても複雑にしようと思えば複雑に出来るものなのかもしれぬ。
 そういえば語学学校で、「ouiもnonも使わずにクラス全員からの質問に何秒間答え続けられるか」ゲームやりましたねー。