オペラ・バスティーユで『ファウスト』を観てきた。グノー作曲、フランス語オペラで1859年初演。
http://www.operadeparis.fr/cns11/live/onp/Saison_2011_2012/Operas/spectacle.php?lang=fr&event_id=2108&CNSACTION=SELECT_EVENT

 ゲーテの『ファウスト』とその19世紀のヴァリエーションについては以前研究でふれたこともあり、有名なあの話をオペラがどういう風に料理したのか、そしてそれをどう解釈して演出するのかと、興味しんしんだった。『ファウスト 第一部』に基づく、どちらかというと忠実な翻案で、19世紀後半風の演出はやりすぎで悪趣味な点を含めてかなり好みで、随分と楽しい思いをさせてもらえたので、ちょっとだらだら演出や感想について書いてみたい。
 フランスにおいでのみなさん、10月10日には幾つかの映画館で同時放映されるらしいのでよかったらチェックしてみてー。
 以下は備忘録。壮絶にだらだら書きます。
序章
 初めて「若者パス」を使って当日券に初挑戦したので、このシステムについて最初に補足しておきたい。チケットのとり方から復習するなら、年間予約購入を除外すると(もちろん21世紀の資本主義社会ではセレブでも貴族でもなくてもお金さえ用意できれば「年間予約客」になれます)、我々外人にとって一番ハードルが低いのはおそらくインターネットで買う方法だ。かなり前から、演目によっては直前まで英語でも予約が可能で、チケットは印刷すればいい。ただ、安い席の設定がない、あるいは非常に少ないので、いつも見るとだいたい60ユーロ位からになる。一方、もっと手頃で慎ましやかな席の予約は、「予約開始日」を狙って窓口に並んで買う。字幕が見えない・舞台が欠けるなど不便はあれど、15ユーロから雰囲気に浸ることが出来、安い方からどんどん売れていくそうだ。売り切れていなければ当日でも窓口でこれらのチケットが買える。
 さて、今回は14:30に窓口販売が始まるそちらではなく、18:45販売開始の「デルニエ・ミニュット」つまり売れ残り券のたたき売りを狙った。17時に窓口につくと、すでに二本の列が。列の一つは一般の人々でもう一つが若者パスホルダーである。それぞれに分厚いペーパーバックを抱えて胡坐をかいている。イヤホンはなし(複製音楽はお嫌い??)。若者パスは28歳以下限定かつ数量限定のカードで、直前の当日券を一般の人より安く、少し確実に買えたり、早めに予約すると安くなったり、5ユーロで立ち見が出来たりする。ただし買えるチケットは一枚だけなのが少しさみしいところだ。その日は、18:40頃から一般の人向けに40ユーロでチケット販売が始まり、その後私たちは30ユーロでカテゴリー1の席を手に入れることが出来た。おそらく売れ残っている席数とカテゴリーでこの順番や値段は変わるのだと思う。もと170ユーロの席と思えば映画二本分・飲み会一回分(どちらも日本での計算)は破格…とはいえ、贅沢な楽しみであることには変わりはないですが。
 さて、並んでいる間にすっかりお腹がすいたので急いで近くのパン屋でサンドイッチを買って頬袋に詰め込み、平土間席にシルバーグレーの紳士淑女諸君に囲まれて落ち着きました。以下は記憶だけで書くのでひょっとすると一部事実関係が混乱したりするかもしれないのはご了承を。

一幕
 緞帳の前に紗がかかっており、この薄布の上には黒一色で球体に座る骸骨の姿が描かれている。ベールを被り、手には砂時計と大鎌。死神である。指揮者の合図で緞帳だけが上がると、紗の向こうに円形の大きな図書室があらわれる。学者の書斎好きには垂涎ものの大道具だ。背景は、半円の壁を埋め尽くす四階までの本棚で、左右2箇所の螺旋階段と本に見せかけた隠し扉を使って本棚の前のバルコニーに行き来できる。天井から巨大な磔刑像が下がっており、足元にやはり大きな天体望遠鏡、隣に、実物大ぐらいの犀(デューラーのあれそのままなので、剥製ではなくて彫刻だろう)の背中から巨大な水晶のオベリスクが屹立している。右側には水槽ならぬ半円形のスノードームのような硝子越しに植物が茂って小宇宙を形成しており、随所に渾天儀、地球儀、天球儀や人体模型、そして本、本、本。おなじみのぼさぼさ頭に薄汚れたローブをはおった博士は机に向かい、助手たちは軍服の上に白衣を着て忙しく動いている。
 「Rien虚無だ!」の一言から、地上の知を極めた老博士ファウストの絶望、死への希求、夜明け、悪魔の召喚、悪魔との契約に続き、ファウストが若返るまでが一幕で展開される。照明の変化によって、ファウストにとっての本棚=知の魅力と味気なさが変化する様子が綺麗に表れていたと思う。メフィストフェレスは縮尺違うくらい長身によく響く低い声で終始異様な存在感を放っており、私まで魂抜かれそうになってしまった。ファウストは恐ろしく単純な感じで、始めから若さが欲しいだの若い愛人が欲しいだののたまい、地獄に落とされると聞いて尻込みするものの、屹立するオベリスクの中に女の裸体があらわれるとコロリと血判を押してしまう始末。若返ると、ぴちぴちのTシャツの上にノリノリで酒を浴びせ、勢いでTシャツをばりっと破いて胸筋を御披露。会場爆笑である。

二幕
 幕が上がると円形図書館は少し分散されて、野外か酒場の中に場所が移った。とてつもなくバブリーな軍人の壮行会が行われている。物語の進行上で重要な点は、マルガレーテの兄ヴァレンティンが母を亡くして頼りのないマルガレーテを友人に託して戦地に赴くこと、マルガレーテが二人といない純真無垢で信心深く働きものなよい娘であることが判明してファウストが夢中になるくらい。あ、ファウストとマルガレーテの出会いである「美しいお嬢様、わたくしの腕をお貸しして、お供させていただきたいのですが」の場面もここで出てくる。後はひたすらメフィストが悪さをするか、悪魔の手を借りるまでもなく群衆が地上の虚栄に酔っている。ワインを運ぶお姉さんは赤いサテンのドレスで、軍人が座る長机の上には、水着にタスキを掛けたミスコン出場者が並んでしなをつくり、私だって負けないわ、と街の中年女たち、働き者の少女たちが合唱し、着ぐるみ姿の道化が踊り、メフィストが紙幣をふらせれば博士たち聖職者たちも競って奪い合う。頭上に磔刑像をしのぐ巨大なしゃれこうべ(あばらより上のみ)が降りてきても誰も気づかない。挙句の果てにはメフィストの指揮で大円舞。ワルツは地獄まで連れて行くよ、という大合唱に併せて極限までテンポをあげ、狂ったように回って最後には倒れておしまい。なんか当時ワルツが虚飾の代名詞ともいえるのがよくわかるな〜。

三幕
 一度休憩をはさんで三幕。中心に小さく簡素なマルガレーテの寝室がしつらえられている。ここではマルガレーテがファウストと結ばれるまでが描かれる。
 この場面でなにより凄いのはマルガレーテの変貌ぶりである。何も知らないおぼこちゃんがメフィストと宝石の力を借りて美しくなり、ほとんど嬉々としてファウストに身を許す様子が視覚的にも聴覚的にも説得力を持って示される。つまり、冒頭で仕事仲間の女の子たちと洗濯にいそしむときは、みんなと同じ袖も首も詰まった簡素なワンピースにエプロン、金髪はひっつめて二本のお下げに編み、「ミルクメイド」のような真っ白の頭巾をつけている。さっきの紳士は誰だったのかしら、と歌うのは素朴で物悲しいメロディーの民謡である。それが、寝る前に下着姿になり、メフィストがベッドに忍ばせていた宝箱を開けて耳飾りをつけた途端異様に複雑で女らしい歌を歌い始める。この宝石がまた舞台上できらきらと光ること。さらに黒いレースの縁取りのついた瀟洒なナイトガウンを羽織って歩く頃には知らぬ間に髪もほどけ、音楽は宮廷風のメヌエットに。自分でも信じられないくらい美しいこの姿をあの方にみてもらえたら、と歌うメロディーといったらすっかり官能的といってよい。
 本棚のバルコニー(庭の小路に見立てていると思われる)でファウストがマルガレーテを口説く間に、寝室のセットは一旦地下に撤収して、庭をイメージさせる木々や草に覆われて再登場する。マルガレーテが「好き、きらい」と花占いをする有名な場面では、何故かベッドのあたりからラフレシア・サイズのマーガレットがにょきっと生えて黒子さんが花弁を放り投げるというちょっと学祭的なお茶目な演出も…!
 ちなみにヴァレンティンの友人でマルガレーテにひそかに思いを寄せるジーベルは恋愛対象外の小童を女性歌手が演じるいわゆるズボン役で、滑稽で抜け目のない熟女マルタおばさんとならび、なかなかいい味を出していた。

四幕
 25分の休憩の間に寝室を彩っていた緑は灰色に萎び、ベッドの上には独りマルガレーテが座っている。仕事仲間の女の子たちはいつもどおりに洗濯をして、だがこれ見よがしに血の染みのついた白い布を残し、彼女を置いていく。それでも私を堕落させたこの気持ちは素敵なものでした、と歌う彼女のそばにはもう赤子がいる。
一方(この「一方」のあっという間なこと!)、ヴァレンティンらの軍隊が帰ってきて凱旋式が行われており、再び街の人々が揃って合唱する。壮行式といい凱旋式といい、ヴァレンティンの不在を合理的に説明するためだけにしては「祖国のための戦い」の存在感は強烈だ。まあ大勢揃って勇壮な行進曲で合唱するのは華やかでよいのだけれど。
 しかし、祭りが終盤になるとヴァレンティンが妹マルガレーテの姿を探し、ジーベルの努力にも拘わらず、留守中の事情が知れてしまう。再びセットに四幕最初の枯れ果てた寝室が戻り、彼女をなじるヴァレンティンと、彼女を守ろうとするファウストの間の決闘が行われる。メフィストの魔法によって妙にスローモーションの掛けられた効果音と共に2~3太刀を交わしたのち、ファウストがとどめをさす。群衆が集まる中、ヴァレンティンは自分が死ぬのはお前の所為だとマルガレーテを呪いながら死んでゆく。この一連の流れのメフィストあるいはファウストとヴァレンティン、ヴァレンティンとマルガレーテのデュエットはとても聴きごたえがあってよかった。

五幕
 最終幕は、かなりゲーテに忠実にエピソードを取り上げているためか場面転換がめまぐるしい。始めは教会の中である。依然として吊るされている磔刑像が神々しい光に照らされ、街の人々や司祭が集まっているが、姦淫を犯したマルガレーテは、教会の奥に入ることが許されずに高い鉄格子のこちら側にいる。オルガンの宗教音楽がヴェールの向こうからのように遠くから聞こえてくる。ミサの音楽や司祭(の姿をしたおそらく悪霊)の言葉、街の人の合唱が彼女の罪の意識を苛み、彼女はひたすら許しを請うが聞き届けられない。
 追いつめられた彼女は儀式の終わった教会の奥へと進む。参列者は残っているが鉄格子はもうない。そして、抱きかかえていた赤ん坊を聖水盆の上に差し出す。一瞬、盆の上が光に満たされると共に高音の美しい和音が響く… と、次の瞬間、彼女は赤ん坊を水に沈めて匕首で突き殺す。
 いつの間にか、聖水盆の向こうには牛頭の黒々とした怪物があらわれて手を振り回し、まがまがしい音楽とともに参列者たちは血の付いたシーツを振り回し始める。黒魔術じみた異様な儀式が行われるなか、ゆっくりと磔刑像が手前へと倒れ、その上にファウストメフィストがあらわれる。教会がそのままヴァルプルギスの夜に変わったというわけだ。
 赤い悪魔スーツで本来の姿に戻ったメフィストフェレスはそれまでにも増して力強く印象的だ。二幕で登場した踊り子たちが再度出てくるのに加え、古今の美女が涼しい恰好で表れ、ファウストに全てを忘れる命の水を与える。ファウストはそれを飲むも、マルガレーテの亡霊の姿を認めて、彼女を助け出すようメフィストに訴える。このヴァルプルギスの場面はもっと滅茶苦茶になるんじゃないかと楽しみにしていたんだけど、そうでもなかったな。二幕のワルツの方が渾沌としていた。
 再び磔刑像がもとの位置に戻ると、中心に鎖に繋がれたマルガレーテ。髪を散切りにされ、19世紀後半のヒステリー患者お決まりの拘束服を着せられている。ファウストが助けようとするもののマルガレーテが一緒に来ようとしないというこの場面は、どちらかというと押さえれられた音楽で、幸せな思い出を懐古するように始まるが、徐々にメフィストが加わり、二人を焦らせると激しさが増す。マルガレーテがメフィストに恐れをなし、牢獄にとどまるといってファウストが外したばかりの鎖を引くと、その先から巨大なギロチンが舞台の上に現れる。彼女は自ら走り寄ってギロチンに首を差し出す(併せて首側に人形がにょきっと出てくる)。その瞬間、刃が落とされると共に、「もう終わりだ」そして、「救われた」と合唱。マルガレーテは自らの罪から逃げずに処刑にされたことで、罪を浄化したことになるので、その後は祝福ともいえる穏やかな音楽である。死刑執行人がマントを脱ぐとヴァレンティンであるというのも意味深だ。中央奥から街の人々の葬列も現れ、釈然としない表情のメフィストファウストを残したまま、マルガレーテの魂が救われたことを感謝する合唱でフィナーレを迎える。