まるで冬の澄んだ冷たい空気が続いていたこの頃だけど、今日は久々にコートなしでお出かけ出来た。行先はシャンゼリゼはグランパレ。現在二月まで『マチスセザンヌピカソ―スタインきょうだいの冒険』と題した近代美術の展覧会が開かれている。
http://www.rmn.fr/francais/les-musees-et-leurs-expositions/grand-palais-galeries-nationales-9/expositions/matisse-cezanne-picasso-l-aventure
 マチスピカソを中心に20世紀初頭の美術のわくわくするラインナップがニューヨークの近代美術館やメトロポリタン、サンフランシスコのMoMAを始め各地から集められている。面白いのは、それらの共通点が、展覧会タイトルにあるスタインきょうだい、つまり、ガートルード・スタインとレオ・スタイン兄妹およびマイケル・スタインとサラの夫妻が20世紀初頭にパリで集めたものだということだ。

 展覧会は、レオ・スタインがベレンソン、ユリウス・マイヤー=グラーフェなどといった美術史家との交流や、自身の美術史愛好を出発点に集め始めたセザンヌルノワールの小品や、ジョルジョーネなどオールド・マスターによる横たわるヴィーナスの流れを引くボナールなどの裸婦像(その中に1907年のサロン・アンデパンダンでスキャンダラスを引き起こしピカソにも刺激を与えたマチスの≪青い裸婦≫もボルティモアから来てる!上の写真)、そして1900年代前半のピカソの作品群にはじまり、「フォービズム」が誕生したとされる1905年のサロン・ドートンヌ出品作品に続いて、サラ・スタインが収集したマチスの膨大なコレクションのホールに至る。

 階下は、ピカソガートルード・スタインの友情を軸に構成されている。メトロポリタン美術館所蔵のピカソによる有名な彼女の肖像(1906年、上の写真)が、その参考になったとされているセザンヌによる彼の妻の肖像と並んで展示されている隣には、≪アヴィニョンの娘たち≫(1907年、NYMoMA、これはさすがに来ていないんだけど)の生成過程に描かれた≪タオルを持った裸婦(タイトルの訳が慣例と違ったらごめんなさい)≫に加えいくつもの習作が各地から集められている。次の大広間には、ピカソと周辺のキュビズムの作品群とともに、ガートルードの文学作品などもあって、彼女の周りに形成されてた交友関係が、まさに当時の前衛の中心だったのだなあーと改めて思う。
 全て作品のキャプションには、どのスタインのところにいつ頃あったのか、という来歴に関する情報が明示されていて、作品の運命にひとしきり浪漫を感じ取ることができる。20世紀初頭のパリで芸術作品を買い集めたアメリカ人等外国人というのは沢山いて、特に第一次世界大戦の混乱で沢山の19世紀〜20世紀の前衛美術が新大陸に渡るのだけど、スタイン家のひとびとは、評価の定まった作品を買い集める愛好家ではなく、まさに評価の形成にも影響を与えるパトロンであり、芸術家と信頼関係を結び、また芸術家同士の交流の場となることで、その画業の発展にも寄与したのが凄い。
 というわけで、今はあちこちに散らばっている元スタイン所蔵の作品を集め、それ自体見ごたえのある作品ばかりなのに加え「収集家」の役割の重要さについて唸る機会になる、非常に教育的に有意義なだけでなく面白い展覧会であった。お薦め。
 * * *
 あと、これは関係ないんだけど、面白いなーと思って。What You'll Wish You'd Knownポール・グラハムが高校生に向かって用意した講演の和訳である。
 以前に少し書いたけど、私は子供に早くからあまりに具体的な夢なり目標なりを決めさせてそれに向かって頑張らせるのには反対です。そんなに早くから自分のキャパシティなりやりたいことなりがはっきりしているものではないのに、方向づけをしすぎると本人も周りの人間も楽できちゃったうえに、能力に関してもやりたいことについても可能性を狭める。加えて自分が変わっていくだけじゃなく、世界だって変わっていくのだ。なあんていうのは、「早すぎる最適化」というのね。ふむふむ。
 12月の発表の題目を今月末までに決めなければいけないのに決められない私はぐずりすぎであり、そろそろ最適化しないとどう考えてもまとめられないから何とかせないかんのだけどね!