春眠暁を覚えず、って風の吹いた次の日は花粉で体調がむずむずして寝ざめが悪いって言ってるんじゃないかしらねえ…てな妄想が頭に浮かぶのは、何を隠そう去年は無縁だった季節性のコンムルチュルチュ(鼻水)に悩まされているからである。満月なのも加わってなんとなく身体が重い。
 ともあれ、お久しぶりです。超個人的に凹んだり凹んだとこから這い上がったりしてるうちに、展覧会は終わりかけたり新たに始まったり、あるいはどうやらパリ滞在も残り四カ月を切るとともに発表に向けてそろそろ本格的に焦り始めたり、というわけで、あることないこと書きたくなってきたりもするってやつである。
 展覧会備忘録としては、まずオルセーで5月6日まで開催中のフィンランドの画家アクセリ・ガレンの回顧展http://www.musee-orsay.fr/en/events/exhibitions/in-the-musee-dorsay/exhibitions-in-the-musee-dorsay/article/akseli-gallen-kallela-30636.html?cHash=8d44613863

これは1896年に描かれたテンペラ画でフィンランド叙事詩『カレワラ』に題材をとったもの。シベリウスと同じ1865年に生まれたガレンは、パリで活躍し、1900年のパリ万博で、ロシアとスウェーデンの間で長く不安定な位置にあるフィンランド独自のすぐれた文化を紹介するべくうちたてられるフィンランド・パビリオンの中心メンバーとしてフレスコ画を提供する。なあんて紹介の仕方だと専ら戦闘的になってよくないが、実際にはフランスで流行していた自然主義の影響の色濃い、写実的で明るい色調の人物達や、いくばくかの抽象的なエッセンスが「音楽的」な風景画(北海道育ちのシベリウス好きにはたまらない心洗われるような風景!!)が沢山見られる。きちんと教育を受けたデッサンは確かだし油絵具の自由なタッチも目に楽しい。
 あとは、授業の一環の見学会で、先生の一人が企画にディープに関わったダヴィッド・ダンジェのメダイヨン展『ロマン主義の相貌』Expositions | BnF - Site institutionnelメダイヨンというのは、幼稚園の皆勤賞でもらえたあれだが、直径15cm前後の円形のブロンズのプレートで著名人の顔(横顔か斜め四十五度)が打ち出されている。

 ある程度教養のあるお家の壁に飾られたりしたのだが、著名人といっても彫刻家ダヴィッドの民主主義的信念によると、各人が権力者に屈するのではなくめいめい自分の好きな大人物を尊敬したらよろしい、というので、独裁者の肖像は彫らない!そこで当時最先端の骨相学(天才はおでこの一部が飛び出ていたりするというのだ)をほどほどに応用したり完全に無視したりして描かれた文学者・音楽家・芸術家などの顔が並ぶ(ポスターになっているボナパルトはあくまで皇帝ナポレオンではなくグロの肖像に基づく「将軍ボナパルト」、徹底している)。
 ダヴィッド・ダンジェは19世紀中葉のフランスでは最も有名な彫刻家の一人だが、彫刻家の常としてあまり知られていない。特に、彫刻というのは、彫刻家が粘土をこねたのから、蝋で型をとって*、石膏で型をとって、さらに型をとって*からブロンズを鋳造したり大理石を彫ったりという複数のプロセスを踏むので、どれを重視するかという問題が付きまとう。ブロンズよりも彫刻家自身の作った最初のかたちに近い石膏が美術館の地下に積まれて顧みられないなんてことも起こる。今回はブロンズに加えて、可能な限り石膏型、さらに上のプロセスで*を付けた雌型の方を一緒に展示してあって、成程陰影がわかりやすい。彫刻家の民主主義的信念を尊重し、かつ小さい部屋なので入場料は無料。国立図書館旧館の絢爛たる大階段を優雅にかつ市民的に散歩するにはいい機会なので散歩のついでにどうぞ。
 あとは、ケ・ブランリー美術館のExhibition: invention du sauvage『未開の発明』展。(http://www.quaibranly.fr/en/programmation/exhibitions/currently/human-zoos.html

これはなかなか重い。16世紀の宮廷以来20世紀初頭の大衆向きエンターテイメントに至るまで、アフリカ、アジア、オセアニア、そしてアメリカ大陸から連れて来られ好奇の対象となった人々の、「人間動物園」(という言葉を使っている)の歴史を、絵画や写真、映像資料から掘り起こしている。
 19世紀も終盤になると、アフリカやオセアニアの部族をひとまとまりで移住させて敷地で独自の家を建てて生活させて様子を見学する一種のテーマパークが出てくる。植民地政策の一環として、そして植民地戦争への不満を和らげるために「教化すべき野蛮な人種」というイメージを浸透させる役割も与えられる。ショータイムの踊りや、入場料やポストカードの写真で、連れてこられた人たちは、敢えて粗野な印象を与えるように歪曲された動作を、求められるままに、むしろ給料のために進んでこなしたという。
 映像の力が強く、ショッキング、まあ怖い時代があったものね、で終わってしまいそうなところが、鑑賞者それぞれ身に引きつけて考えさせるのに成功していると思う。自分と違う姿かたちをした者への興味や好奇は、数、政治や経済力の非対称性によって容易に蔑みや優越感にかわる。私たちがエレガントとか知的とか美しいと思う人間の佇まいって未だに、こういう「野蛮な」歴史を紡いできた世界の一部の美意識がつくり出してきたものなのだし…などということを、随所に配置された鏡に映る自分のひらっぺったい顔を見ながら考えたりする。
 あと、全く話変わるけど、ちょっと最近発見してよくお邪魔してるブログ(油屋ごはん)を御紹介。美味しいものの食べ歩き記と、主に油を使ったレシピ。写真がとにかく美味しそうで、イマジネーションが膨らむ。女中部屋に独り暮らしの身としては材料を揃えると大変そうなので、専ら膨らんだイマジネーションと冷蔵庫の食材で即興を試みるわけだが、余裕があれば本格的に実践しても面白そうだ。