先週訪れたヴィシーのオペラ座の内装より。めっちゃスノッブで保守的な保養地の、なかでもハイソな社交の場は、こだわりのアールヌーヴォー様式で装飾されております。先週土日はヨーロッパ共通の文化財の日だとかで、私のような庶民もボックス席に座ってみたり出来た。
 今週半ばに、大学で『絵画・文学における「douleur悲しみ」の表現』という小さな学会が行われていた。悲しみにはtristessという言葉もあるけど、私の印象ではdouleurは痛みを伴う、重くて鈍く動かしがたい悲痛さ(信じられないことに今手元に仏仏がないのです)。偶然時間の空いたときに潜り込んだら、中でも重いも重い、広島長崎の被爆の表現の発表と、二次大戦中の強制収容所での、あるいは経験者の後の夢の記述の発表であった。
 言葉にハンディはあったが、前者の発表の中で紹介された丸木俊子の絵本『ひろしまのピカ』、あるいは『はだしのゲン』から切り取ったイメージを下手なプレゼンで見せられたときに、ぐわっと色々思い出して考えさせられるものがあり、改めてイメージの威力を思った。小学校の頃、断片的に見た映像や絵本(通してみるのは恐ろしすぎた)によって、夏中、戦争の夢を見る不安に怯えていた私にとっては、太平洋戦争と原爆は紛れもなくトラウマといっていいものになっている。生の経験だけを経験と呼ぶなら経験したことのない、また、同時代を生きてもいない戦争と爆弾を今でも、たぶん何よりも私は恐れている。それらのイメージは、実際の生きられた経験から距離をおかないものだったと思うし、それに加えて、断片的に与えられたものであること、小さい頃独特の、俯瞰する視点を持たないことが相まって、私の中に漠然とした大きな不安の塊を残した。その塊は、起きている時にも寝ているときにも、極めてありそうな挿話を思い出したり作り出したりする核になって、たとえば歴史的背景とか進行状況とかをきちんと学校で習った後も、このよくわからない不安は晴れないままだ。
 語学学校で、ベルギーの子が、歴史をプレゼンするように言われ、少しおどけて、「僕らの国は侵略されっぱなしでした。まずは(イタリアの子を指して)セザール、それから(先生のほうを向いて)フランスにイギリス。(スペインの女の子達を指して)スペイン、そして、もちろん(ドイツのおじいいちゃんをみて)あなた方も。」今は笑うこともできる。でも、こちらには戦争はいつも近くにあって、不安に包まず、寓話に終わらせず、美化することもなく、実際的に話し、考えることに慣れているように思った。
 「イラクの歴史にはここのところ戦争しかないわ。イラクというのは“戦い合う民”という意味よ。」イラクで先生をしている女性は言っていた。