金曜、日帰りでリヨンに。二つの河を見下ろすフォーヴィエールの丘にあるローマの劇場跡である。大小二つの半円形すり鉢の観客席が山側にあって、一番上までくると、街と向こう側にアルプスの気配を見ることができる。拳より大きいくらいの角ばった石がきっちりと積まれ、飾り気はないがすっかり残っていて、今魔法が起こったらラピュタみたいに蘇りそう。前に出てきた子とは別のポロネーズと私は、素晴らしい秋晴れと久しぶりの都会らしい都会に興奮しきって、これ二千年前の石よー!なんてはしゃぎまくる。
 ベルクール広場で出会ったサンテグジュペリと星の王子様。このポーズは肖像彫刻独特の威圧感がなくていいなと思う。サンテグジュペリは『人間の大地』が好き。人間の大地 (サン=テグジュペリ・コレクション)ここに出てくるような格好いい男達は彼と一緒に砂漠に消えてしまったのかしら。なあんて考えながらぼんやり地図を広げて先へ歩いていると、何か探してるの、道分からないの?、と声を掛けられた。行き先に迷ってるけど道は分かってる。大丈夫です、と断ったら、追いついてきた連れに怒られる。「友達が素敵なフランス男を探してるって言いなさいよ!」そっか、確かに典型的なフランス顔の美形だったわ。失敗。
 昼過ぎから彼女と別れて美術館へ。大きな企画展が二つ、そのうち『デッサンの愉しみ』に、ポスターの素描はドラクロワよねーと思って入った。哲学者ジャン・リュック・ナンシーによる、彼のメモ帳を覗いてみよう、という構成で、ジョアン・ミロによる禅の公案みたいな棒と点に始まって、10の章ごとに素描がいくつかと、哲学者とか芸術家の言葉がみっつよっつずつ。デッサンというのは、いうなれば創造の出発点で、口当たりよく簡単に感動できてしまう完成作に比べてサービス面では劣るけれど、可能性の塊、芸術家自身の原点に近い部分であり、玄人にはたまらないんだよねー、みたいな感じがあっさり納得できてしまう、高尚で難解で、その高尚さ難解さ故にとてもお洒落という、日本にはあまりないお洒落さでした。サイトもお洒落。Musee des Beaux-Arts de Lyon - Musée des Beaux Arts de Lyon

 サンテグジュペリに戻るでもないけど、責任について考える。
 私がここに居るのは、論文を書くためというのはあるけど、それ以前に、今まで知らなかった、そしてひょっとすると一生知る機会のなかったかもしれない世界とその世界に存在するあらゆるものたちをみて、感じて、色々考えて事によると発信するためだと思っている。ただ、余所者が吸収するだけ吸収するからには、それなりの礼がなければとも思っていて、例えば、出会う人に、私がたまたま通りかかってよかったと思って欲しい。みんなとは言わないけど、私の居ない世界よりちょっと居る世界は面白くあって欲しい。それは礼とか責任というか、強烈な我儘ともいえる。何も留学中に限ったことでもなくいつもそう思うのだけど、とりわけ、今の段階でこちらのカウンセラーご夫妻なんかには、与えられる一方で、他にも分不相応な幸せに出会うたびに、代わりに私には何が出来るだろうと考えてしまう。