美術館スタージュはひと段落。企画展のカタログとか色々持たされて帰ってくる。
 諸所の手続きを終えて四月に始めたとき、まだスタージュ(研修)というのが何なのかさえ分からない状態だった。何人もに訊いたけど納得いく答えが得られなかった。多分訊き方が悪いんだけど、想像できないものについてどう訊くか分かる訳がない。
 右も左もそんなものがあるかも知らずに乗り込んだので、仕事の動きとか組織の状態とか人間関係とかを見極めるのにかなり時間がかかった。何でも聞いてと言われても何を聞いたらいいのか何が知りたいのかよく分からないのだ。大体分かってからも、だったら自分はどうしたらいいのか把握出来てなかったと思う。私のすぐ上のチューターとトップの主任学芸員みたいなのの間が万全だったら全体の作業効率はだいぶ円滑だったと思われ、私の後半受け持った仕事もそのあたりで具体的にやりにくいところがあったのだけど、やりにくいまま押し通した。色々と他に心配事の多い時期でそのあたりの微妙な駆け引きに関るのもしんどかった。周囲は一週間しないうちに私が居る事に慣れてたけど、私は最後まで違和感があった気がする。

 前半一ヶ月は、チューターについて、研究者への応対、資料の整理、丁度改装中の17世紀・18世紀美術のホールに出入りする作品の管理、修復に出す広告・修復から帰ってきた陶器の確認、子供のためのアトリエやガイドツアーの見学、と思いつくのはこのくらい。小さい美術館だが、資料・写真や調査訪問の依頼がかなりあり、それの対応が大きな仕事になっていた。
 後半は、19世紀美術の大きな部屋の一角を占めているヴェルサンジェトリクス(ウェルキンゲトリクス)関連の美術を一挙に紹介する壁張りパネル(旭山動物園によくあるやつ)と手にとって読む説明ボード(ルーヴルなんかにあるやつ)を受け持って、調べ物・画像集め・文章書き。19世紀後半から次の世紀始めにかけてのナショナリズムとか美術行政とかと密接に関る面白いテーマである。今までほとんど全然知らなかったことを、資料がかなり完全に揃って作品も目の前にあるという環境で調べられるので楽しかった。ただ、作文は相変わらず酷くって、フランス人なら鼻歌交じりにかけるだろう分量を苦労して搾り出しては、人を捕まえて真っ赤に添削してもらってた。案は仕上がって、多分実際に美術館に出るのは新学期と文化財の日に併せて、となるそう。
 とにかく、反省点は多いけど、一区切りついてすごーくほっとしてます。今週末はいっそ人間というものと関係を絶っていたい。なんていうとすぐ寂しくなるんですけれど。とりあえず明日は好きなだけ朝寝を貪り、部屋を掃除して資料を整理して封印し、インディジョーンズとか観にいきたい。