あなたの…、あなたの鼻は、そのぅ、とても、大きいですね。―とても、と。―ええ!―それだけですか?

「その鼻の上を歩いて川を渡れるわね」(なにしろ鼻梁は幅も広いのだ)
 祖父の鼻のことをもう少し。鼻孔はダンサーのスカートのような曲線美を描いて裾を開いている。両鼻孔の間で凱旋門のような鼻梁がまず前方に迫り出し、やがて下降して上唇の高さまで垂れ、見事な先端は今は赤く染まっている。いかにも霜柱にぶつかりやすい鼻だ。(…)「これは一家を興す鼻ですぞ、坊ちゃん。何より確かな血統証明なのじゃよ。ムガル皇帝だってこういう鼻をした一族は重んじたじゃろう。いいかな、この鼻には、未来の王朝がかくれているのですぞ」―それからタイは下品な譬えによって言葉を締めくくった―「鼻水のようにな」

 目的という観念に毒されていた私は、鼻のことで悩んだ。女校長のアリア伯母から季節ごとに送られてくる恨みのこもった洋服を着て、私は学校に通い、フランス・クリケットをし、喧嘩をし、童話に読み耽り……そして悩んだ。(その頃アリア伯母はとめどもなく子供服を送ってきてくれるようになっていたが、その縫い目の中に彼女は老嬢の悲嘆を縫い込んでいた。最初は恨みのベビー服、それから怨念のロンパースという具合に、ブラス・モンキーと私は伯母から贈られたものを身につけていった。育ち盛りの私は嫉妬の糊のきいた白い半ズボンをはき、モンキーの方はアリアの妬みが濃厚にしみこんだ花模様の美しいフロックを着た……贈られた衣服を着ることで伯母の復讐の網の中に捕えられていることも知らずに、私たちはおしゃれを楽しんだ。)ガネーシャ神の象鼻のような私の鼻は最上級の呼吸器、そしていわば鋭敏すぎる嗅覚器官であるべきはずのものだと私は思った。ところが実際は永遠に詰まりっぱなしの、木でできたシークカバブのように無益な代物なのだ。

真夜中の子供たち〈上〉 (Hayakawa Novels)

真夜中の子供たち〈上〉 (Hayakawa Novels)

 なにしろ風邪で鼻が詰まっているので、今日は(今日も)自宅謹慎もかねて家でのんびりと読書など。
 最近の自分には悪気がないだけにタチの悪い愉快犯じみたところがあり、やはり私も攻撃性を捻くれた方法で表出してしまわないように臥薪嘗胆ノートなり怒りのマフラーなりといった転換装置を導入しなければならないかなあなどと漠然と思う。