発表は、今回はファウスト連作。

 反省点はさておき、ここでは文学専門じゃないのをいいことに、言いたい放題の感想を書いてしまう。おまけに発表じゃないから論理を求めてはいけませんよ。
 ゲーテの『ファウスト』はあまりに有名だけど、これは有名どころでマーロウの『フォースタス博士』をはじめ、数限りないヴァリエーションを生み出した16世紀初めに実在した「放浪の魔術師」ファウストの伝説を背景にしていたのでした。でその後も複数のオペラ、ヴァレリーの『我がファウスト』(未読)、プルガーコフの『巨匠とマルガリータ』なんかが、そこからインスピレーションを得て生まれてくる。私はたぶん高校生くらいの時に佐藤亜紀の『鏡の影』を読んで凄く気に入ったのがこの流れに触れた最初だった気がする。金髪巻き毛の悪魔はあまりに魅力的だったし、ヨハネスといったはずの主人公が、宇宙の真理のような、普通に私が読んでるぶんには全然見当もつかなくて、おそらく常人に対して説明することは不可能であるはずのものを見出した瞬間のわけわかんなさに衝撃を受けた覚えがある。これはもう、ファウスト伝説だけではとどまらない、たぶん今読んだらまた違った発見があるだろう小説だけれど。
 この長めの枕で何が言いたいかというと、私はゲーテの『ファウスト』は実はあんまり好かん、ということだったりする。なんかファウストがめそめそしすぎるのだ(翻訳でしか読めてないからもあるかもだけど…)。もう大概の歳になって学問も究めた上で青春やりなおしちゃってるわけで。メフィストの悪っぷりも微妙に喜劇役者になってて、それくらいなら巨匠とマルガリータのみたいに暴れまわったらいいのにと思ってしまう。猫もくるならこいっ!!極め付きは、最終的に二部の最後でファウストが救済されてしまうことだ。しかも、どうやら自分が完璧に堕落させて捨てたはずのマルガレーテの力を借りて。メフィストフェレスにしたら、さんざんファウストを楽しませてあげたのに、約束違いもいいとこである。所詮人間と悪魔の契約は、神のからんだ賭けには勝つことが出来ないのか、お釈迦様の掌の孫悟空みたいで哀れでしょうがない。
 ただ、こういうアレンジによって、出演者たちはずっと人間らしくなっているとも思う。ファウストメフィスト・マルガレーテは図式としてそのままよくある三角関係構図になっている。そこまで込み入った状況になくたって、私はしばしばファウストになり、メフィストになり、ごくたまにマルガレーテになることもある。おまけに研究なんかしてるとまんざら無関係な世界でもない。結局人を楽しませようと思うなら、なんとなく悪魔的なものは不可欠なのであり、「ひょっとするとあの人は悪魔に魂を売ったのではないのかしら」あるいは「この人に耳を貸してるといけない道に入ってしまいそう」なんてのは一種最高の褒め言葉である。こんなことを言うのは、学部のころ、岩城先生がいらっしゃった当時の講義、「あれは魔法だったよね〜」という話を最近仲間たちとしていたので。そんなこんな、悪魔の術とまでいかずとも、「魔法」が使えるようになれるよう、本気でちょと修行してみるのも悪くないかなーなんて思っている。