シャンティィのコンデ城、絵画コレクションの一室の展示風景。19世紀後半に、革命でダメージを被った城を再建し、膨大な美術品を収集したオーマル公爵(ルイ・フィリップの息子の一人でめちゃくちゃ金があったもんで、オークションに現れては主だった作品を買い占めるので有名だったそうだ)の意向で、当時と同じ展示方法が取られている。展示方法まで含めて博物的価値を持たされている、とか言って言葉変じゃないかな?つまり、時代順・画派別に目の高さを基準に一列に並べるのではなく、広い壁一面に、時代などはかなり自由に架けられている。普通の美術館を一周したら、「なんとなく絵を見た気」になると思うけど、この部屋を回った後は、「何だか絵の沢山ある部屋にいた気分」しかないかもしれない。絵は鑑賞の対象というよりコレクションの豊かさを顕示する壁の飾りのようにさえ見える。ただ、ごちゃ混ぜに展示してあるわけではなく、女性ヌードは入ってすぐの一番大きなギャラリーでなく少し奥まった小さな部屋にあったり、その大きなギャラリーでも、入って左手にまずプッサンなんかの神話画があって宗教画、右手はオリエンタリズムだったり、肖像画・風景画が並んでいた印象がある。このあたりにプリンスの教養なり美意識なりを嗅ぎ取るべきなのかもしれない。
 ちなみに。少し東へ話をそらします。ハプスブルグのお宝箱、ウィーンの美術史美術館は、1891年にフランツ・ヨーゼフ一世によって人々に美術館として公開されたんだけど、このとき、イタリア・フランドルといった画派で分けて、その上で時代順に絵を架けるという、現在やってるような展示を教育的な視点から採用して、それは当時かなり画期的だったとのこと。それが100年位で、ちょっと前には教条的とかイデオロギーとか言われたりしたんだなあと思うと、少し意地悪な心持がする。例えばあと100年した時に、今の美術館みたいなものはとんでもなくノスタルジック平和ボケな感じがするかも知れないね。
 展示方法なら気に入らなければ架け替えればいいけれど、文化財修復なんかは、過去に大真面目に取り返しがつかないことを一杯しでかしているようなので、どうなるのかなあ。酷いニスの上塗りが行われていたとか、ステンドグラスがあんまり適当に直されちゃったとか(反対に贋作紛いにそれらしかったりとか)変な塔をつけたとか、そういう過去の失敗談は苦笑交じりに語られ、今は少しでも状況を悪化させない・失敗の少ない方法が取られている。それは、最善が尽くされていて、とても理にかなったものに思える。でも200年後、この野蛮人どもめぇ〜とか思われないとは限らないかもなあとは思う。ただ、そんなこと考えてるか知らないけど、今とにかく出来るだけ長い目で多分出来るだけいい方法を模索してやってるってのは、悪くない。