先週ががっつり連休を取ったので、今週は大人しく休養&研究。誰もいない書庫に籠って怪しげに論文を音読したりしていたら、お隣から留学生がやってきて、いつものように挨拶のあと「ちょっと訊きたいことがあるんだけど」と「"ペンペンドッサ"って、どんな感じする?」と聞かれる。
 何しろ高校の世界史の授業中45分間"ポチョムキン事件"の語感が面白くて笑えて呼吸困難してた私である。その昔は縦書きされた「オホーツク」が突然ツボにハマったこともある。この手の話題は大好きだ。
 えーっと、可笑しいよね。そんな名前の人がどこかの国の大統領になったらついついクスって笑っちゃう。しかもちょっと田舎くさい。ペンペン草、お尻ぺんぺん、ただでさえ唇をくっつけて出す音(m, p, bなんか)は親しみが強く出るのを(パパ、ママ、ババなんてわかりやすい。お乳を吸った口をちゅぱってやる動作から繋がってる)、繰り返すことで幼児語っぽさまで出てる(ちゅんちゅん、わんわん、にゃんにゃん等)。ドッサがまた、洗練とは程通い。「どさっ」と置くものは大事であるというより嵩張るものだし、「どっさり」かけるのは上品なソースじゃあり得ない。どすん、と座るのはいかにも貫禄のあるでっぷりしたお尻、ドサ回りなんて言葉もあるわよ。なーんていってひとしきり盛り上がった。
 こういう語感や、細かい助詞の使い分けなどは、普段当たり前に使っているけれど、ちょっと立ち止まってみると案外深くて面白いものだ。留学生の方が相手だと、こちらもなんとかして説明をしてみようとして、その過程がまたエキサイティングで発見があったりする。フランスでの語学の授業で、昔ヴォルテールの『カンディード』を読んだ時、先生に「このヒロインの名前の"キュネゴンド"ってどう思う?カンディードは絶世の美女っていうけど、どう考えても不細工な名前だよねー」って言われたものの、東アジア勢はどうもさっぱりしっくりこなくって、あとからも「むしろ強そう」「怪獣っぽいとかならわかるけど…」とかぶつぶつ話してたのなど思いだす。

カンディード 他五篇 (岩波文庫)

カンディード 他五篇 (岩波文庫)

 ちなみにカンディードはこちらです。変な教育で真っすぐスーパーポジティヴに育っちゃった男の子が、行く先々で運命の理不尽と浮世の不幸のフルコースを堪能するの。岩波文庫だと真面目な感じで思いっきり笑えないという方で、フランス語が分かるならぜひ仏語版で。なにしろ展開が速いから(新たな登場人物が出るたびに二頁半の描写があったりベッドでごろごろしてる人間の想像だけで何十ページあったりという心配は全くないから)楽に読めます。そして笑える。これこそ光文社で新訳とか出さないんだろーか。


 洋食じみたものが作りたくなってハンバーグ。肉汁の残ったフライパンでホールトマトを温めて、ソースで味を調えたトマト煮込み。
 私が名前の付いた料理を作るのはそれだけで珍しいことだが、今回注目すべきは隣の白いモノである。油屋ごはんさんのハロウィンレシピとして紹介されていたものを参考に、実家から送ってもらった小さなかぼちゃでつくった、かぼちゃのニョッキの白ソース(油屋ごはん: 【ハロウィンレシピ】南瓜ニョッキランタン
 本来ならばかぼちゃの皮のケースに入るべきが、レンジにかけ過ぎ、かつレンジ済みのかぼちゃの身をスプーンでこそげとる工程でけちくさく沢山削ってしまったら崩壊してしまい、あえなく断念した。この料理の素晴らしいところは、生のかぼちゃに包丁を入れるという危険な作業を完全に回避できるところであります。五分チンして上の方を切り取り、タネを取って実をくりぬいたら、適当に小麦粉を混ぜて白玉の生地よりは柔らかいくらいのタネを作り、小さく丸めて、沸騰したお湯で茹でる。浮き上がってきてちょっとしたら大丈夫。あらかじめ作ってあったベシャメルソースにどぼんして完成。ベシャメルソースは、今回は玉葱と人参と井口ハム*1をオリーヴオイルで炒めた所に適当に薄力粉をかけ、バターを加えて牛乳で伸ばし、塩・コショウで味を調えたもの。
 かぼちゃのほのかな甘みがホワイトソースと良く合って、美味しいしお洒落なひと品なのだが、これ、良く考えてみたら、「かぼちゃ団子」ですよね。やはり北海道の料理はすごいのだ!残って冷凍してある生地は焼いて砂糖醤油で食べちゃおうっと。

*1:祖父がスモークした豚バラ肉

 金木犀の香りがしなくなったと思ったら、疏水のまわりの色が増えていた。


 紅葉の気配を見に北上して大徳寺黄梅院の特別拝観を訪れた。写真は禁止だったのだが、要所要所で解説をしてもらえて勉強になる。武野紹鴎好みの四畳半もちらりと見えたし、本堂周辺の石庭はすきっとしてるのに対して離れの茶室の周りは苔むした露地に枯れ池、と景色がくるくる替わるのが面白い。

 寄り道はいつ来ても背筋の伸びる、高桐院のアプローチ。ここが真赤になると考えただけでドキドキする。

 見上げればもう色づいている。

 大徳寺の門のすぐ手前にあるCafe du Monという小さなカフェでお昼ご飯。女の子で旅行中なら絶対嬉しい野菜たっぷりのプレート、五穀ご飯とスープつき。ありがちなカフェご飯っぽく見えて、サラダの葉っぱの組み合わせとかドレッシング、ビーフストロガノフのソース、ご飯に混ざった昆布の具合とかがプロのお仕事って感じで美味しかった。ちょこっとついてるオカラ豆豆サラダやブロッコリのパスタもチーズやハーブ使いが素敵。

 バスを乗り継いで御室へ。実は初めての仁和寺大徳寺塔頭に比べてわかりやすく華やかで豪華な印象だった。

 意外にもこちらの方が紅葉が早いよう。

 夕暮れの光に照らされると少し淋しくなります。


 おまけに祇園「小森」の善哉。行くとパフェ食べちゃうから善哉は初めてなり。

 繰り返すが10月が終わろうとしておる。せわしない満月。そして旭川本部から年賀状に載せるから写真を送れという指令が下る。何たること!何故に今に至ってなお我々の顔が必要なのか。とうの立った感のある上の二人の娘は電波を介して顔を見合わせ本部の真意を推し図る。もとより何も考えてはいるまい。だが、誰が見ても可愛い三番目とめいでも載せておけばよいものを、高校入学、大学での独り暮らし、成人、そして妹君に至っては就職してなお…となればその筋の無言の圧力なのではないかと勘繰りそうにもなるものである。かくなる上は福を呼びそうな変顔を探しましょうかねえ。

 10月がおっそろしい速度で過ぎ去ろうとしているが、なんとか元気です。慣れないことを始めてわたわたと忙しくしているうちに、二週間近く更新していないことに気付き、今日その沈黙を破ったのは決してわたわたがひと段落したためではなく、わたわたに新たなるわたわたが加わって下らぬ文章の一つや二つ吐かねばわたしダメになっちゃうわと逃避の必要性が身に迫って感じられた故*1
 今夜はきのこの沢山入ったシチューにした。ホワイトシチューは多少だばだばになるけどルーを使わないで作ったのが好きだ。本当はベシャメルソースは別に作って後から加えるべきなのだろうが、楽して鍋一つで作っちゃう。大きく切った野菜を最初に炒めてからよけておき、その鍋にオリーヴオイルを足して細く切った玉葱を溶けそうになるまで炒める。バターと小麦粉を足して炒め、(あれば白ワインと)スープを加え、具を戻して、柔らかくなる直前まで煮込む。で、牛乳を沢山加えて味を調えて、ほろりとするまで煮込む。肉は、鶏なら最初の野菜の前、今日は豚バラの薄切りだったのでスープが沸騰した辺りで。家から美味しいジャガイモが届いて、もっと寒くなったらもう少し濃厚なのを作ろうっと。
 そんな感じで、平日は午前からやること一杯でかなりハードだけど、研究は基本学校で済ませる、とか、土日は目覚まし無し&少し手をかけた料理を作ってあげる、とか、なんだか当たり前のことをきちんと気をつけてやってると色々と調子がいいような気がする。
 最近バスというものに乗ることが多いのでその時読んでるのがこれ。

Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)

Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)

 まだ乗り切れていないけど(バスの中という限られた時間だけだからだろうけど)私の好きな種類の変態性がおかしな方向に明晰に発揮されていて好ましい。
 あと、秋の夜長に長編に浸りたい方に、これは割合と方々で迷惑を顧みずお薦めしているのだけど、『ミレニアム』は楽しいよ!
ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 (上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 (上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ストーリーが動き出すと東野圭吾が静止画に思えるくらいスピーディーでサービス満点、ヒロインは痺れるほどに恰好いいし、ヒーローは「人をすごく好きになることが恋に落ちることだとするならぼくは何人もに恋をしていることになる」みたいな30発ぐらい殴ってやりたいことを真顔で口にするような優男だけど正義感に燃えるジャーナリストで有能でジェームズボンドの顔までついている。
 ジャーナリズムなる領域の人々が、一発芸では済まされない阿呆を競い合うこんなご時世だから…なんてことは付けくわえておいてもいいけど正直どうでもよろしい。大事なのは面白いということ。

*1:「わたわた」ってパソコンで打ち続けると左手の4と5の指が鍛えられそうで良い感じ

 あずま路の果ての妹に薦められ、村上春樹小澤征爾との対談本をちょこちょこ読んでいる。

小澤征爾さんと、音楽について話をする

小澤征爾さんと、音楽について話をする

 およそミーハーなるものから程遠いわたくしは、ビッグネーム続出の昔の思い出話なんかはふむふむ知らんがな、っていってするする読んでしまうのだが(なにしろ対談のうえに村上節だから驚異の読みやすさである)、聴き比べが始まるとヤバい。ベートーベンのピアノ協奏曲の三番とか、マーラーの巨人とかの昔の名演奏から最近のよいのまで、小澤征爾自身や師匠たちが振ってるのを村上春樹がプレーヤーに乗せては、「ここのテンポが」とか「うーんこのホルン!」とか実に楽しいそうにおしゃべりしているのである。わーどうなってんの?どういう感じ??…と、私は大学の付属図書館のメディアテックに駆け込んで、CDの棚とにらめっこする。すると、実は結構揃ってるんだなー。無論全部はない。でも、こんなことがたまにあるから間延びしすぎた学生生活も捨てたものじゃないのだ。それで幾つか特徴的な盤を探しては、論文の続きなど読みながら耳に流し込む。幸せだ。この、音楽が時間を動かしている感覚。
 そんな訳で、音楽な秋を強調しつつ、金木製の香りを聞いてはイモ栗系デザートに惹かれてボディラインを危機にさらしている今日この頃である。先日街に出たら、タイツ率が上昇していて驚いた。
 ところで、乙女な読者諸姉よ、ストッキングは一度破れると全体に広がって対処のしようがないのに比較して、タイツはあまり潔いとはいえない破れ方をしますよね。それで「あ、しまった…」とか言いながら忘れてて洗濯しちゃって、案外気付かないで次も履いてしまう…。
 勘のいいズボラ乙女の皆さんならお気づきでしょう?どうする、どうする?
 そう、万が一お座敷に上がる場面に遭遇したら、誰よりも早く「やだー破れちゃってる!これお気に入りだったのにいー」と(言外に<朝は大丈夫だったのになあ>と滲ませつつ)言うのです!・・・・・なあーんて♪実はこの話はとある妹(話題が話題なのでどっちと特定はしませんが)と「あるよねー」「何回かはいけるよねー」と大いに盛り上がった裏技である。とはいっても私達もそろそろいい歳なんだから大人にならないとね〜。

 遅くまでやってた仕事は明日の朝最終確認。最後の最後で一晩寝かせるという余裕は、もうぜーーったい必要なんだと思う。もう騙されないぞ!とはいえ、ようやくほんまもんの秋の到来らしいのをよいことに、最近になく少ない睡眠時間で珍しく10cmヒールで随分長い間研究室やら書庫やら地下やらと出ずっぱっていたら流石に疲れた。最近背中に来るから要注意だ。しかし先週木曜に一回奮発して銭湯を奢ってやってサウナでのんびりしたら、それだけで肌の調子は滅法よい。まあ半分以上思いこみ療法なのだが、私の思いこみは良い方面にしか発揮されないし(板チョコ一枚食べて4時まで起きててもいきなり次の日ニキビで北斗七星が出来たりはしない!)、人に布教するといっても妹に自慢するくらいだから無害もよいとこ。
 新刊だそうで、早速手に入れた。

金の仔牛

金の仔牛

 佐藤亜紀の小説を読む時って、いつも自分ってLucky fewかもってちょっと意地悪な悦びを覚える。まあ物理的にも恐ろしいことに新刊なのにどうやらジュンク堂の、しかも自転車でのアクセスの最悪な四条店に行かなければないというので(情報源はネットと近くの本屋)アマゾンを使ってしまったのだけど。そもそもこんなに面白い小説が翻訳じゃなくて、よくチューニングされた日本語でもとから書かれているのがもう贅沢だわって思う。この度の舞台は18世紀初頭のパリのバブル、しょっぱなからテンポが軽妙。下手すると一晩で読んでしまいそうで、勿体無くってちびちび読む。けど、文字が速く進みたいというのにちびちびと手綱でとどめようとするのもそれはそれで勿体無くて悩ましい。